季節のたより

かみなりさま

小さい頃大好きだった絵本が「だるまちゃんとかみなりちゃん」。我が家には初版の薄い本があった。これはどなたかからいただいたものだが、私はこのお話が大好きでよく親に読んでもらった。当然自分でも読んでいたし、今も話の内容は…うろ覚えかも。落ちてきたかみなりちゃんをだるまちゃんが空に戻そうとするお話じゃなかったか…確か空に戻ってだるまちゃんは感謝されるって話だったと思うが…(あまりにも漠然とし過ぎだろ)。絵がとてもかわいらしくて、こんな雷だったら許してやる、と思っていた。

実は私は実際の雷が大の苦手だ。

稲妻を見るのもイヤだが、雷鳴が聞こえると悲鳴を上げてしまうぐらい雷が嫌いだった。家の中から見るのもイヤなのでカーテンを閉めてしまう。雷が鳴りそうな真っ暗な空を見るのもイヤだし、雷が近いと外に出るのもイヤ、帰宅する途中で雷が鳴り始めると通り過ぎるまで店などでやり過ごすほど雷が苦手。

まだ実家にいた頃すぐ近所の電柱に雷が落ちた事があったので、それを思い出すとさらに雷がイヤで仕方なかった。落ちる前から窓ガラスがビリビリ振動するほど雷鳴が響いたこと、落ちた瞬間閉めたカーテンを貫いて室内真っ白な光になり、同時に音にならないブシュっという振動とほぼ同時に聞こえたすごい雷鳴…今も思い出すとぞっとする。

二十代前半で外回りの仕事に就いた時の事。

夏の天気の良い朝から頭痛に見舞われる事が多くなった。私は夏バテもひどい方なのでこんなのイヤだなあ、と思っていた。ところがある日同じ職場の同僚から「タピアンが頭が痛いって言ってる日ってさ、午後になると必ず雷鳴ってない?」と言うのだ。

え?と思って気をつけてみたら、どんなに天気が良くても確かに午後や夕方に雷が鳴っている…本当かよ…と思いながら一年、二年…三年も経つとほぼ100パーセント頭痛天気予報が当たるようになってしまい、雷を避けながら外回りをする事までできるようになってしまった…。午前中に外に出る私を見て、午後から出る予定の同僚が「傘持っていこう…。」とぼそりとつぶやいたりしていた…。

一人暮らしを始めてからは何としても帰宅しなければならない事(家事がたまってるとか、ハムスターや猫がいるとか)があったので、どんな手段を使ってでも雷が鳴る中帰宅するようになった。ひどい雷の時はタクシーを使った事もある。そのうちにイヤでも雷の中を走って帰ることができるようになった。この頃にして二十代後半…。

しかし近所迷惑をかけながら、だ。雷鳴が聞こえるたび悲鳴を上げてたので、何事かと思って出てきた帰宅途中にある家の方が笑いながら雨宿りをさせてくれたことまである…。その方には今も感謝している…。

何とか一人で雷雨の中家に帰れるようになってからは、夏になっても朝から頭痛を感じることが少なくなってきた。そのうちだんだん頭痛自体しないようになっていった。

ところが三十代前半でまた外回りの仕事をするようになってから、またも夏場の頭痛が復活。頭痛天気予報は見事に当たるようになってしまった。「今日は雷が鳴るぞ…。」とつぶやくと、最初は信じてくれなかった職場の人たちもあまりに当たるので「どういう特殊能力だよ…。」と驚くばかり。私だって好きでこんなになってるわけじゃないよ。

そのうち同じ職場で内勤になったが、やはり夏場の頭痛は続いた。そしてその職場を異動になった翌年からはそれほどひどい頭痛を感じることはだんだん少なくなっていった。しかし、だ。頭痛はしなくなったものの雷が鳴りそうな日は朝から何となく調子が変だったりして、「今日は雷が鳴るかもな…。」というのはいまだに何となくだがわかる事がある。昨年の夏はちょうど妊娠中でつわりもひどい時期だったため、ほとんど体調は変調状態だったが、その変調とは違う説明のつかない調子の悪さが結構毎日あり、よく考えてみるとそれはあの激しい夕立の前触れだったのか…と思ったりする。

さて、家にひきこもりがちの今年もまた雷予報ができるのだろうか…。

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発芽!

我が家にある小球根たちに相次いで発芽が見られるようになった。

小球根のうちテコフィレアというちょっと扱いの難しい株たちは、ブログですっかりお世話になっているSAKUさんのところに預かっていただいている。出産が思ったより早くなりそうだったため1月の初めに預かっていただいたのだが、何を思ったかちびはおなかの中が居心地良くなってしまった様子。預かり期間が長くなってしまいかえって申し訳ないです…。

我が家では原種クロッカスに芽吹きが見られ始め、スノードロップ、原種チューリップ、スイセンにも芽吹きが見られるようになった。

スノードロップは養生して増やした株だが、花が咲きそうな芽が見られびっくり。原種チューリップも植えっぱなしのままで花を咲かそうとしている子、今年は養生になる子とがいるが元気なようだ。原種クロッカスは球根が小さくなってしまってはいるものの見事に我が家で根付き今年も大量に花を咲かせそう。スイセンは既に咲いてる株もあるが、昨年秋に購入したちょっと難しいと言われる原種に芽吹きが見られびっくり!原種シクラメンのコウムはもうピンク、白の花を満開に咲かせている。花つきは昨年の比ではない。

ただ問題なのはセツブンソウ二種類。西洋セツブンソウはこれからまだどうなるか不明だが、昨年春にいただいたセツブンソウは…うんともすんとも言ってない。ダメにしたかなあ…。

これから厳冬期を迎えるが、実際は春に向かって確実に季節が動いていっている。それを今年は比較的ゆったり身近で感じられるのがうれしい。

このところ数年は年が明けるとめちゃくちゃに忙しいのが続いていたので、会社の机も書類まみれ、残業はいっぱい…当然家にいる時間は激減し、家の中も何だかめちゃくちゃ、ベランダはほったらかし、休みの合間をぬって「それっ!」と家事をするという感じだった。

ちびが産まれるまでまだ時間はかかりそうなので、春に向けての芽吹きをゆっくり見ながら過ごそうと思った私だった。

ちなみに球根がらみのどの株も昨年からは山野草の土にプラ鉢で育てている。土の値段は確かにちょっと高いのだが、我が家で育てているのを見る限り球根夏越しの成績が極端に良く、しかも液肥、ブドウ糖をやり肥培する期間に球根が腐ったりもほとんどなし。カタバミやスミレの種が飛んできてしまい抜く時も抜きやすいし、植え替え時も結構扱いが楽。鉢が軽くなったのを確認してから水遣りをすれば大丈夫と横着者の私にとってはベストみたいだ。

しかし…ここまでいろいろわかるまでに随分時間がかかったな、と思う。枯らしてしまった植物は結構あって、性格的に私には向いてない植物というのがあるのを思い知る事もあった。基本的に私には細やかな手間をかけないと育てられない植物は絶対無理である。害虫駆除、殺菌消毒、その他遮光だのなんだの、一年をそういう流れの中で過ごさないといけないものはいくら育てたいと思っても「無理」と割り切れるようになった。

なお、今年は細やかな手間がかかる植物の中に、育て方の常識にとらわれすぎて枯らしたものがいくつもあった。一般的には手間がかかると言われていても、我が家の栽培方法で既に何年も適応していた株というのが多々あった。それをていねいに育ててダメにしたショックが一番大きかった。枯れてしまった植物達には本当に申し訳ないと思ってしまう…。

やっと自分に向いている植物がわかってきた。今年の春以降は早春に咲く小球根、今まで何年も育ててきたハーブ(ミント、レモンバーム、タイム、ローズマリー、ローレル)とイチゴ、ミニバラのうちレンゲローズやグリーンアイスの二株の強健種(両方とも丈夫で虫もつかず病気にもなりにくく枯れもせず、季節関係なく花が咲きまくるおそろしいミニバラ)、大好きなスミレと、サクラソウ、虫よけで育てている丈夫なゼラニウムまでで手を広げないようにしようと思った。

ちなみにバラやその他樹木(主に果樹)のお手入れがあまりにもなっていないので、もともと花を育てるのが上手な夫の父が春以降に鉢を引き取って育ててくれるのだそうだ…。

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福袋

今年になるまで私は福袋なるものを購入した事はなかった。何が入っているかよくわからないのと、使いもしないものや趣味に合わないものが入っていても何だかな、と思ってしまう性格から買う勇気がなかったのだ。

年が明けてすぐ夫が近所のショッピングセンターへ買い物に行った。年明けから春までほぼ土日も毎日のように出勤するため、そろそろ冬の私服が何着かほしいと思ったと言う。実は夫はここのところ普段着ないのを理由に私服をほとんど買っていなかったのだ。なぜなら出勤すればスーツ、帰宅すればスウェット、出かける時だけ着る服を数枚持っていれば何の問題もなかったから、という。

夫は福袋を買って帰宅した。今まで自分が持っていなかったのと少しイメージの違う福袋があれば、と思って店員さんに聞いたら「これなんかどうです?」と言われて勧められたものを買ってきたという。開けてみたら今まで夫が着た事のないダウンジャケットが入っていた。夫はダウンがほしかったらしく喜んでいた。他の服もなかなか合わせやすいものが入っていて夫としては大当たりだった、とにっこり。

かく言う私は今年生まれて初めて福袋一つを購入。カバンの福袋なのだが中身が何か全部わかるもの。自分が一番ほしかった色、形、小物の組み合わせが入っておりこれだと絶対にはずれがない。今回はちょっと考えて今まで私が持った事のない趣味の色柄ものを選んだが、地味なので何にでも合わせられたのは正解だった。

ということでお互い新年の買い物は終わり。私も初の福袋体験に満足。これで私自身は私のために大きな買い物をするのは終わり。あとは復職後(いつだよっ?)のお楽しみにしておこうと思う。

などと書いててふと気がついた。自分のためとか言ってるがよく見ると自分がまんま使うと言うよりむしろちびが使うとか、ちびのためのものとして使うものの方が多いわ…まあいいか。ちびはしばらくはちび自身で何かを選ぶ事なんてできないし、ちびが自分で必要なもの買いに行けるわけないんだもんな…。ちびの子育ては一年限定で終わるわけではなくいっしょにいる間は当分続くんだから…。

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おみくじ

今年は初詣すらしなかった私。初詣の際には神社でおみくじをひいたりするが、おみくじを引いても大吉が出た事は今までの一生で一度しかない。

その大吉は高校の卒業旅行で奈良に出かけた時ひいたもの。今も現物はどこかにしまってあるはずだが、神社の人もびっくりする内容のおみくじで、大吉の中でも最高のものだとか。滅多に出るもんじゃないと聞いてしばらく持ち歩いていたのだが、その後大事にしまいこんでしまった…出てこなかったら意味ないんだが…。

それまでおみくじなるものはひいた事がなかった。なぜなら高校の修学旅行の時、おみくじであり得ない体験をしたからだ。

2年生の頃京都・奈良へ修学旅行に行った。当然ながらグループ行動という事で、当時14人だったクラスの女子は7人ずつの2班に分かれ、京都を回っていた。私はその日1つの班の班長になってしまっていた(班長はその日ごとに交替することになっていた)。

北野天満宮に行き、来年の受験に備えて合格祈願をしたいという要望が一部班員からあり、北野天満宮を散策コースに入れていた私たちの班。ここで友人Ⅰがおみくじをひくと言い出し、それに友人K、Sが同調したため、私も含め残り4人はいっしょに天満宮の中を歩き回っていた。

そのうち友人Ⅰが不機嫌な顔をして戻ってきた。どうしたのか聞くと「ひいたおみくじが凶だってさ…。」とむっつり。おみくじをひかなかった4人で大爆笑。「日頃の行いが悪いからだろ?」「まあそういう事もあるさ。気にしなさんな。たかがおみくじじゃないか~。」とお気楽に話していた。

その後友人KとSがまた無言で戻ってきた。やはり機嫌が悪そう。友人Ⅰと残り4人で「何機嫌悪そうに…。」友人KとSが見せたおみくじには「凶」の字が…一瞬5人とも言葉を失った。

「…って事はさ、3人連続で凶が出たって事だよね…。」「おいおい、何それ?最初は笑ってたけど、これ笑い事じゃないんじゃないの?」「まさか、偶然だろうけどねえ…。」さすがにおみくじを引かなかった4人ともフォローの言葉しかなく…最初に大爆笑された友人Ⅰは「お前ら覚えてろ!」と激怒していた。結局悪い結果のおみくじは結んでいくといいとかいう話を聞き、3人はおみくじを結んで残していった。当然残りの4人はおみくじを引かなかったのは言うまでもない。

ここまでなら笑い話で済んだのだが、問題はその後だった。

どうせここまで来たなら受験も無理だし、入れるわけがない大学でもあるので京都大学でも見に行こう、と無責任な事を言い出す者が出て、散策のノルマをとっくに終わっていた私たちは京都大学までバスで出かけていった。実際には校門をくぐり(しかもあれは裏だったと思うが)、中をちょっとだけ見て帰ってきただけだったのだが。

そして宿に帰ろうと帰りのバスに乗ったところ、友人Ⅰが何やら慌てている。どうしたのか聞くと「財布がない…。」「えええっ!?」6人とも驚くしかなかった。

「おいおい、どこまで財布持ってたか記憶ある?」「おみくじ引いた後バス乗ってるはずだからそこまでは持ってたはず…。」「だとしたら大学構内か?」「いや、バス二回乗ってると思うけど、どっちも乗った時は確か班長が活動費から払ってるよね。」「あ、そうだ。私が払ったよ。」「って事はもう天満宮出た時落としてたんじゃ…。」「とにかくまだ時間があるから来た道戻ろう。」と班全体はパニックに。

友人Ⅰは一言「凶のおみくじってこういう事だったんかい…。」と不機嫌になってしまった。さすがにこの時は6人とも言葉が出ず…一応班長だったのもあり、副班長とともに宿についてすぐバス会社に電話連絡し、行った場所にも電話で確認したが財布の落とし物は出ずだった…。その財布に友人Ⅰの全財産が入っていなかった事だけが救いだったとしか言いようがなかった。

災難はその翌日も続いた。宿から三十三間堂が近いと聞いて、朝一番で歩いて出かけて行ったのだった。この日は班長からはずれお気楽な立場の私、クラスメイトに似た仏像を見て友人と大笑いして楽しんでいた。

三十三間堂を出てしばらくしてから、昨日おみくじをひかなかった友人のうち一人と「ここ拝観料無料だったね。」と話していたところ、友人Kが「え??拝観料あったよ…。」

ちょっと待てよ!と思い友人Kに聞いたところ、友人SとⅠはきちんと拝観料を払っていた。残り4人は拝観料を取られていなかったのがわかり呆然…。偶然にも拝観料を払ったのは昨日おみくじをひいた3人…。

「え~何でそうなったんだよ!」と3人は怒った。私たち4人も「何で?」とわけがわからず唖然。後で考えると先に入った4人の身長はやや低め、行動も3人に比べたら落ち着きがない。ただその中で一番大きい私でも身長は160センチあった。拝観料を払った3人は私より5センチ以上身長が高かったとは言え、そうだとすると拝観料を取る人が私たち4人を見落としたか、中学生以下と勘違いしたかとしか思えない。

「160センチある人間を見落とすか、普通?あり得ない。言動見てて小学生と勘違いしたんだ。」と友人Ⅰは言う。「んなバカな。同じ制服着てて小学生と勘違いされるわけがない。」と一番身長が低い友人Tは怒った。「拝観しながらどんぐりころころ歌ってたじゃん。」「迷惑になる場所では歌ってない!」「奈良で鹿せんべい食ってたくせに。」「あんただってたこ焼きほうばってたでしょ?」と友人同士の言い合いはだんだんエスカレート。「じゃ今から戻って拝観料払いに行ってこよう。」と私が言うと「時間考えろっ!そんなの無理だってば!!」と友人Sが言うので4人とも戻るのはやめてしまった…。

そしてその後もなぜか凶のおみくじをひいた3人にとってはことごとくいろいろな事が起こり、班内では4対3で言い争いが頻発したのは言うまでもない。おかげでこの修学旅行で奈良、京都の何を見たのかあまりはっきりとした記憶がない…。その後大人になって何度か京都へ行く事があり、やっと京都を楽しむという事の意味がわかってきたのである。

たかがおみくじだが、おそろしいものだと私は思うようになり、大吉をひいた後は最近までしばらくおみくじをひけないままの私だった…。

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お雑煮

毎年作る段階になると「?」と思ってしまうので、ブログをメモ代わりにしておいておこうと思ったりした。ちなみに我が家のお雑煮は夫の実家のものとも少し違い、私の実家のものとも少し違う、何とも言えないみょーなお雑煮である。

まず前の日の晩に水を1リットル用意し、鍋に入れておく。その中にだし昆布10センチ角のもの2枚を入れておく。

鶏肉はなぜかささみを使う。酒を大さじ1~2、塩をひとつまみ振ってレンジで5分くらい蒸して、しっかり色が変わったら冷まして冷蔵庫へ入れておく。

翌朝鍋を火にかけ、沸騰するちょっと前に昆布を取り出す。沸騰したら鰹節を片手でひとつかみ豪快に鍋に入れ、火を止めて沈むまで待つ。

その間に野菜の下ごしらえ。ニンジンは3センチほどを皮をむき薄く半月切り。大根も5センチほど皮をむき薄くいちょう切り。小松菜は1株分ざくざくと一口大の大きさに切る。鶏肉は一口大の大きさに切る。好みでなるとを入れるが、これは薄切り。

鰹節が沈んだだし汁をこして、その中に野菜と肉などの具を入れる。その間にお餅を焼いておく。

具が煮えたら少しふたをしたまま蒸らし、だいこんが透明になったら醤油大さじ2、塩小さじ4/1を入れて味付け。これをお椀に盛って、焼いたお餅を乗せてお雑煮。すごい手抜きのお雑煮だが、これがここ数年我が家で作っているお雑煮である。

ちなみに私の実家のお雑煮は父の実家のもののアレンジだという。我が家で入れた具のほかにサトイモ、焼き豆腐、香り付けにゆずの皮が入っている野菜たっぷりなお雑煮。母の実家のお雑煮は私が作るものとかなり近いそうだが、餅とダイコンと小松菜しか入れないとか…。

夫の実家のお雑煮はシンプルだが、確かキノコが入っていたと思う。基本的には我が家のより色の薄いおすましで、シメジが入っていた記憶がある。お互い関東が出身なので餅は四角い切り餅、汁はだしベースのおすまし系というのが共通しているのだ。

全国のお雑煮を見ると餅、味、具ともにいろいろあっておもしろい。以前にお好み焼き談義がこのブログでもあったが、もしうちはこんなお雑煮、ってのがあったら教えていただけたらうれしいなと思う。

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ヘンなこだわり

実家にいた頃、父や母は家族で撮った写真を年賀状にして送っていた。しかし、父も母も全ての年賀状を写真にしていたわけではなかった。なぜか父も母もプリントゴッコを使って年賀状を作っていたりもした。何でそんな二種類も年賀状を作るなんて手間かけるんだろうと子供ながらに思っていた私だった。ちなみに私は自分で書いた絵をプリントゴッコで製版してもらい、色だけ塗って年賀状にしていた。

社会人になって数年すると、私の友人達も家庭を持つようになった。年賀状には家族写真や子供の写真がついてくるものが大多数となった。私はそれについては何も思わず「へええ。」などと笑いながら年賀状を見ているお気楽な人間だった。そんな状態のまま30代に突入し、相変わらずお気楽に暮らしていた。

ある日の事、高校時代の同級生からある友人の連絡先を教えてほしいと電話があった。その友人からは毎年私に年賀状が来ていた。一年ほど前に転居もし結婚もしている。その同級生と彼女は、私と彼女との間より仲が良かったはずなので、その上で連絡先を教えないのには何かわけがあると思った。こちらに年賀状が毎年来ているのは伏せた上で、同級生に事情を聞いてみると、三年前くらいから突然連絡が取れなくなったと言うのだ。年賀状も出しても来ないという。電話くらい実家にしてはどうかと話すが、実家のご両親に伝言を伝えてもその後電話がかかってくる事は一度もなかったと言う。

何かおかしいと思いつつその友人に連絡をしてみたら連絡が取れた。私は遠回しに用件を伝えたりするのが大の苦手なもので、単刀直入に今回の話をしてみた。

すると彼女から驚くような言葉が出た。「意図的に連絡取るのやめただけよ。」えええっ?びっくりする私に彼女が言ったのは「年賀状は出してきても構わないし、連絡先ももしというなら教えていいよ。でも私はあえてこちらからはこれからも年賀状とか出す必要もないと思ってるし、連絡取って会いたいとも思わないし。」と…。

彼女と話をしているうち、彼女が何を嫌がっているのかがわかってきた。友人と話をしても家庭の話と子供の話ばかり聞かされる事、そんな話他人が聞いてもおもしろくも何ともないし、勘弁してくれ、と思ってそう言っても彼女がわかってくれない事。さらには家族の顔写真つきの年賀状が送られてくる事、視野の狭い話ばかりになるのが彼女にとっては苦痛で仕方ない事、自分が苦痛になってしまうならそんな付き合いは必要ないと思った事、だいたいはそんな内容だったと思う。

私の周囲には当時独身の友人は多かったので、独身女性同士で会うと、友達の子供の写真付き年賀状についてはかなり冷たい反応をする人が多いのは知っていた。年始の挨拶に家族写真ならまだともかく、関係ない子供だけの写真なんかつけてくるな、バカじゃないの、というきつ~い話題は結構上がっていた。私などは「ぎゃははは、これどっち似だ?」などと単純に笑っていた方だったので、「お気楽バカ」などと言われていた。

その後家庭を持っている人の中にも同じような考え方をする人は多いと知り、ふ~んと思った私だった。確かにそうだ。家族ぐるみで付き合いがあるならまだしも、年始の挨拶に家族の写真やら子供の写真やら、ハガキの半分も使ってってのもどうかな?というのはわからなくもない。

実家の両親にこの話をしてみたら、「うちでも家族写真付きの年賀状送る人は選んでたんだよ。大多数はプリントゴッコで刷ってたの送ってたよ。そんな個人的な賀状誰に対しても送るもんじゃないし、いろんな考えの人がいるんだからさ。」と。あ、そうか、だから複数の種類の年賀状作ってたのか!とやっと意味がわかった…。

はてさて、そんな事を知った年の春の初めの頃。父の恩師から突然、我が家で送った家族写真付きの年賀状10数年分がまとめて送られてきたのだ。そこには我が家の家族が二人だった頃から始まり、三人、四人と増えていった姿がきれいに揃えられていた。手紙がたった一枚ついており「今までいただいた写真つきの賀状については全てお返しします」との事だった。父は「???」となっていた。

その後まもなくその恩師が亡くなったと息子さんから連絡が来たのだ。どうやら亡くなる前に自分の荷物整理をしていたらしく、「写真つきの賀状はこちらで勝手に処分するにしのびない。」と全てそうやって差出人に送っていたらしいのだ。息子さんも宛所不明で戻る郵便があって初めてそれに気がついたと葬儀の時話していたと父から聞いた。

そうなんだよな。顔写真つきの年賀状って思い切って処分するの大変なんだよね…私もそうして思い切って処分できない年賀状が山ほどある。全部ファイルにしてあるので場所はそれほど取ってないのが救いだが…。実家にも同じように処分できずにいる年賀状が束になってある。父の話では全部顔写真付きだよ…と…。

後の事考えても個人の顔写真付きの年賀状は私はやめよう、と思った。猫を飼ったが、猫といっしょに写した写真をつけたりもしていないし、結婚しても、結婚した時の写真などつけて送ってはいない。来年には子供が生まれるが、子供といっしょに写した写真をつけて送るつもりもない。自分で撮った写真をつけることはあっても、それはあくまでも人が見たらどうでもいい写真にとどめるようにした。処分するとき困らないように、もらって不快にならないように、年賀状一つに何ヘンにこだわってんだか…。

そうなると最近になって年始の挨拶に近況報告をするのもどうかとまで思うようになった。あくまでもそれも個人的な内容…。しかしこれを省略したある年、友人達から来た年賀状には「あんた何かあったの?」というものがすごく多かった。暑中見舞いにまで「何かあったの?」と書かれ、さらにその翌年正月に来た年賀状にまで「昨年はずいぶん殺風景な年賀状だったけどあれ何?」とか「昨年は何があったのでしょうか?」という内容が多かった。おかしいな、と思い何人かに聞いたところ「時節の挨拶は書かれていたけど、毎回いろいろ書いてくる人が近況も何も書いてなくて何かヘンだな、と思った。」「ああいうのは確かにシンプルでいいけどさ、普段書く人が何も書かないと余計な心配を招くしどうかと思うぞ。」と言われてしまった…。それからはご好意に甘えて一言近況だけは書き添えておくようにした。

しかしその兼ね合いも難しい。入院・手術が続いた年に「入院を繰り返して~」などと書いてしまった後、突然正月に友人数人から「ちょっと!あんた何なの?変な病気してるわけじゃないよね??」と電話をもらったのには驚いた。

余計な事は書くまいとさらに決意を新たにしたので、結婚した年に書いた年賀状に「昨年結婚し、~」とさらりと文章を続けたら、翌年正月と翌々年の正月には「そういうのをなぜ早く言わない!?」と非難の年賀状が相次いだ。「タイミングはずしまくりですが…」とお祝いを贈ってくる人まで…どうしたものかと思ってしまう。やはり「結婚しました」ハガキを送っておくべきだったのか…。

いったい今年は何を書いたらいいのかと思っている。来年出産する事を知らない人には「昨年は動くのも大変なくらい丸くなってしまいました。」ぐらいにしておこうかな…。って来年書く年賀状に「昨年は子供が生まれ~」などと書いたら「何これ!」とか言われるんだろうか…トホホ…。

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年賀状

そろそろ年賀状を用意する時期になってきた。

このところ毎年のように元旦に間に合わない賀状を出している。

大晦日の夜中に書いてたりするから、差出人を書き忘れたり、コメントにみょーな事を書いてしまったり、誤字脱字が異常に多かったりとかわけのわからない年賀状になるのだ。これは失礼極まりないと思う。

今年は産休で家にいるので、早めに書こうと思っていたらもうこんな時期だ。部屋の片付けとかやる事がいっぱいあって、結局年賀状が一番後になってしまいそう…。

少し前にブログめぐりをしていたらばななさんが年賀状を購入したという記事を見つけたので、産休に入ってすぐ年賀状を買おうと出かけた私。私は毎年プリントゴッコで年賀状を作っていたのだ。だいたいが二版刷り、面倒な時でも多色刷り、近所の文房具屋さんにも図案集を探しに行ってきたが今年は見つからない。おかしいと思い見たら「今年度でプリントゴッコ製造中止」の張り紙とともに、図案集は今年は出ない事、ランプやインク、スクリーンなどの消耗品はしばらく販売するが…というお知らせが…。lパソコン普及による影響らしい。実家に行けば図案集を父が保管しているはずだが、実家はまもなく旅行の予定。今年はパソコンで年賀状を作る事に変更し、インクジェット対応を100枚買ってきた。

今日になってブログめぐりをしていたらlazyMikiさんが年賀状の版を作成するという記事を見つけた。年賀状を手彫りの版でなんて素敵だな…。

私もそろそろ年賀状を準備しないとまた例年と同じ事になる、と思い、パソコンからオリジナルの牛の写真を出してきて、プリンタ会社の無料のテンプレートをお借りして数パターンの年賀状原稿を作成した。しかしそこまでやっておきながらインクも買ってきておらず、年賀状を印刷しようとしない私。明日やればいいや…。

Photo…にしても何なんだこの年賀状は…。これが最初に作ったものなのだが、写真が黒毛和牛に乳牛…。昨年北海道旅行をした時に撮ったオリジナルの写真を使ったものだが、いくら丑年とは言えこれはいかがなものでしょうか…。年賀状をもらった人は「はあ?」となるに違いない。こうなったら写真の出自も、丑とかそういう文字も一切書かずに出してしまおうと思った。

ばななさん、lazyMikiさん、ブログのリンク事後報告で申し訳ありません。

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春が来た~

Photo…なわけがない。関東南部もそれなりに寒い日々が続いている。

ベランダでは今年の夏暑さでバテて消えたと思っていたこぼれ種出身のヒゴスミレが復活していた。株はしかも増えていた。そして気がついたら花まで咲いていた。何なんだこれは…。

Photo_2 サクラソウのプランターには、同じくこぼれ種の明神スミレが山ほど生えている。サクラソウ大丈夫かな?と思うくらいになっているので、サクラソウプランターのうち一つだけは掘り返して、サクラソウの無事を確認しようと思ってはいるが。こちらも花が咲いている(ただし映像ボケボケ)。何なんだろう。

今年の秋はスミレの狂い咲きがやたらと多かったが、まさか今頃になってまた咲くとは思ってもみなかった。春になったらまた咲くのかな…。

Photo_4

今年の秋に我が家にやってきた原種スイセン。秋から冬に花が咲くというが、確かに植えたら花が咲いた。ちょっとかわった花だがいい香りもするしかわいらしい。これは増やしてみたいなあと思っている。花のない時期には貴重なかわいい花。

その他の球根たちは小さな芽が出て来て春を待っている。

Photo_5 ←ちなみに我が家の近所ではこんな光景が見られる。当然ながらこれは紅葉(街路樹のドウダンツツジ)。これを見ると決して我が家に春が来たわけではないとわかる。赤があまりに綺麗だったので撮ってみたが…。

Photo_6→さらには我が家の中で見られる光景。寒くなるとこのお方は人の布団の中に入ってきて喉を鳴らして寝ている。わざわざ猫用にもぐり布団を作ってやっても、ホットカーペットをつけてやってもこんな状態だ。最近は人の枕に頭をのせて眠る技まで身につけてしまっている…。

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お酒はほどほどに!つづき…

前日の記事にはまだつづきが…。

翌週月曜日、私の係は全員が顔を揃えた。その朝私の前に座っていた先輩が一言。「金曜日はどうも。あのさ、あれから俺どうやって帰ったのかわからないんだよな…。」

先輩は私と同じく一次会で帰ったのだが、もともとお酒がほとんど飲めずその日もたいして飲んではいなかったはず。自転車に乗っていた記憶はあるが、本人の話では、どこをどう通って帰ったか全く覚えていないのだと言う。おまけに足をすりむいていたり、手にあざがあったりしたというのだから、おそらくどこかで転倒したかぶつかったかしたんじゃないかというのだ…。

私も電車に乗ってから自宅に帰り着くまで全く記憶がなかったことを話すと「あの日はみんなすごかったよな。一次会では最初から大騒ぎだったし、酒のペースも早かったし、とにかく普段からぎゃあぎゃあうるさい係だけど、それを通り越してもうどうしようもないくらいとんでたもんな…。」と先輩は言っていた。私もその光景は覚えているし、誰もが普段以上に笑ったり騒いだりハイになっていたのは事実だった。

その後他のメンバーとも話をしたところ、おそろしいことが判明したのだ。

私と同い年の同僚は二次会後に消えてしまったそうだが、二次会に行ったのは覚えているがどこの店に行ったのか全く覚えていないと言う。さらには三次会に連れて行こうとしたら、わけのわからない事を言って駅とは反対の方向へ歩いて消えていってしまったと三次会出席者はいう…。彼の自宅は電車でないと帰れないはず…だ。随分経ってから彼は道に迷ったあげく、駅まで出たものの終電がなくなって困り果て、当時付き合っていた彼女に助けを求め、彼女の実家に泊めてもらったのだとわかった。その彼女は現在彼の妻なので、これも彼女との結婚祝いの飲み会の席で笑い話になったのだが…。他の同僚は彼の携帯電話で連絡したりもしたが出てくれず、この時は皆本気で心配していたそうだ。

三次会に行ったメンバーは三人だったはずだが、そのうちの一人、私の同期は三次会の記憶がまるで抜けており、自分が飲んだのは二箇所だったと断言していた。他の人に三箇所だったと言われても「絶対そんな事ない!」と30分以上言い張っていた。レシートを見せてやっと三箇所だった事を認める有様…。一人が消えてしまったのはしっかり覚えていたのに、その後さらに飲んだ記憶がないというのだからびっくりだ。彼はこの日妻の実家に泊めてもらったそうだが、やはりどうやって帰ったのか記憶がないと話していた。タクシーで帰った事を残りの人に聞かされて驚いていた。

もう一人、私と年が近い先輩は「二次会以降お金を払った記憶がないので、払わなくっちゃ…。」と言いながらお財布からお金を出していた。すると三次会にいっしょに行っていた最後の一人、当時の新人さんが「何変な事言ってんですか。お金はまとめて自分で全部支払いしてたじゃないですか…。まさか覚えてないんですか?」と。先輩は自分で全部のお金を払っておきながらそれを全く覚えていないという。「財布の中身が極端に減ってるだろうが!」とみんなから突っ込みをくらい、そこで初めて「あ…万札が一枚もない…。」と気がついた。その後慌てたのは三次会出席者。みんなお金を先輩に払っていなかったのだ。

「何だよ、みんな揃って記憶喪失かい…。まともに記憶があるのは新人の彼だけなんだ…。」と上司が言うと、お金を払ってないと勘違いしていた先輩が一言。

「いや、こいつなんて二次会、三次会ってほとんど寝てましたよ…。最初と最後しか記憶ないんじゃないかな?」彼もお酒は弱かった。二次会でカラオケをやった事も覚えてない、何を食べたかも記憶にない、どの店に行ったかを覚えているというだけ。詳細を聞くと何を話したかとか全然覚えてなくて、ほとんど寝ていただろうなあと思われる…どうも一次会の途中から半分は寝ていたのではないかと思われた…。

上司を除く係全員が壊れた飲み会なんて初めてだ…。これは係員全員の汚点だという話になり、しばらくの間「飲み過ぎには注意しましょう!」と何かある都度上司に言われるようになってしまったのだった…。

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お酒はほどほどに!

もう5年以上前の事になるが、職場で忘年会があった。

当時いた係はわりと人間関係が良くてまとまりがあった。その忘年会の日の昼過ぎに職場で大きなトラブルがあり、係全員でそのトラブルに対処する事になった。夕方までにそれは驚異的なスピードで解決し、忘年会は予定通り決行されることとなった。

その日は係の忘年会。昼過ぎからトラブルにかかりっきりだった私たちは、おいしい料理とお酒(この時は会場が偶然料理もお酒もおいしいお店だった)で調子に乗って飲んで食べてしまい、一次会の段階で、バイク通勤の上司以外(当然この人だけは飲んでない!)全員がべろんべろんになっていた。

私と上司、一人の係員は一次会で帰宅、残り四人は二次会へ、そのうち一人が二次会で消えてしまい三人が三次会まで行ったそうだ。ここまでなら普通の忘年会だ。

私はお店の最寄り駅までみんなで歩いていった記憶もあり、一人で電車に乗って座ったところまでは覚えているのだが、その後どうやって帰宅したのか全く記憶がない。

翌日土曜日の朝起きると、部屋の中に歯ブラシと野菜ジュースの飲んだパックが転がっていた。私は服を着たままだ。トイレに入るとブーツが揃えて脱いであった。玄関に行ったらコートが脱いであり、カバンも置いてあった。

その日は出かける予定があったので駅まで歩いていくと、おまわりさんに会った。するとおまわりさんが声をかけてきた。「あの、無事家まで一人で帰れたんですね…。」

何のこっちゃと思い話を聞いたところ、昨晩交番へやってきて「おうちへ帰りたいんだけど帰り方わからな~い。」と私が言ったのだそうだ。住所を聞くときちんと答えたという事で地図を見せて説明したと言う。危ないと思ったのでタクシーを呼んだ方がいいと言ったら「一人で帰れるも~ん。」と制止を振り切って歩いて行ってしまったという…。

一瞬青くなったがその場はお礼をきちんと言った…。

その後電車に乗りいつもの乗換駅の改札に差し掛かったところ、駅員さんに呼び止められた。「昨日は無事帰宅されてるんですね。」と。

は?と思いまた話を聞いたら、昨晩改札で「○○駅に行きたいんだけどどっちの電車に乗ったらいいの?」といきなり質問してきたんだそうだ。説明したら「ありがとう~。」と言って電車に乗り込んでいったという。

また青くなったがその場でもお礼をきちんと言った……。

やがてメールが来た。当時付き合っていた彼(今の夫)からだ。無事家に帰れたのか等かなり心配している内容。何事かと思ってメールの送信履歴を見ると…青くなった。

私は何を考えていたのか、飲み会が終わり帰宅してからもかなりの間変なメールをたくさん彼に送っていた…。彼は驚いたようでどこにいるのか心配していたようだが、私は居場所を全くもって知らせてないため、どうにも動きようがなかったらしい。ただ帰宅はしたと連絡があったため安心したようだが…。

野菜ジュースは彼に「飲んでおいた方がいい」と言われて飲んだものだとわかった。

いったい何でここまで酔っ払ったのか私もワケがわからない。もともとお酒は弱くそんなに飲んだ覚えはなかったのだが…。おいしいお酒が出る時は危ない!と思ったので、その後は調子に乗らないよう気をつけるようになった。

お酒を飲んでわけがわからなくなったのは今までこの一回限りである…。

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