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2011年3月

テレビを消して

息子はまだ二歳だが、地震後はかなり不安定になっている。
被災地でもないし、余震はあるもののそんなにひどくはない。何故?ふと普段の生活を振り返ると・・・。

テレビのニュースだ。必要な事はあまり流されていないのに毎日のように放射能だの原発の映像、原発の解説だの暗い話ばかり。こんなの毎日見てたら情緒不安定になるわな。私達もそんな事を知りたい訳じゃない。

被災地の状況を知ることは必要だが、被災地の中で頑張る東北の方々の姿を中心に番組を組み立てる工夫を
しろよと言いたい。

せめて家族の団らん時には息子のためにもテレビは消して過ごそうと思った。

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地震

職場でしごとをしていて、足元から妙な震えを感じたのが最初だった。

あまりにも長い震え、しかも地底から響いてくるような地鳴りがした。地震だ、しかもかなり大きい!大きい揺れが来て、立っていられないような揺れ。青い顔をしてるお客さんはみんな自発的に安全そうな場所に逃げて行った。勝手に防火扉がしまり、自動ドアがおかしくなり、動ける人は避難経路づくり。

もともと職場は荷物や書類が山のようにあったが、横長の棚にギチギチのファイルは崩れたりはしなかった。パソコンのモニターが傾いたりはしたものの、タテモノ自体も横長で低いせいか揺れが分散されたのだろう。

しかし、それから二時間大きさは違えど職場は揺れが続き、ついには地震なのか目眩なのかわからなくなるほど。携帯が繋がらない、ネットも繋がらないとお客さんたちも不安な顔に変わっていく。こちらも同じで断片的にわかることしか話せない。

保育園にはでかおがいるが、無事でいるかの確認すらできない。というより電話が使えない、もっとひどい地域の事があたまによぎる。とにかく仕事をするしかない。

職場に待機命令が出てみんな待機になった。私も短時間勤務中だが定時までは残っていた。定時になり上司から帰宅許可が出た。保育園に電話が繋がり、でかおは父が迎えに行き既に帰宅していると知らされた。父からは空のショートメールがきたため無事とはわかった。


同じ方向に帰る同僚と駅まで歩いたが、電車が動いていない。仕方がないのでとにかく北へ北へと歩いた。揺れを感じたり、暗くなる道を声を掛け合いながら歩いた。途中でタクシーをつかまえようとしたが、無理。二駅歩いてやっと県境をまたぐバス乗り場へつけたが、そこにはバス三台分の人が人があふれている!

一時間に一本しかないバスを待つ列。私と同僚は目的地への途中までしかいかないバスに乗り、途中で乗り換えして北に向かうことに。そのバスは乗客八人ぐらいで出発した。運転手さんが出発してすぐに電車の状況を乗客に聞いてきたためみんな口々に電車がうごくめどがないことを話すと、途中で車庫に寄ってもいいかと聞いてきた。臨時バスを出してほしいと頼みたいと言う。皆早く帰りたいとは思っていたけれど、反対はなくむしろ賛成意見が。運転手さんは車庫に寄り臨時便を出してくれと掛け合い、後ろから乗客も状況説明。一時間に一本のバスの臨時便が二台出る事に。

八人の乗客は同僚以外見知らぬ人ばかりだが、全く違う方向に行きたい人もいたり、再度バスを乗り継がないといけない人がいたり。みんなで乗り換えの指示を出したり案内したり、終点までみんなが声を掛け合いながらそれぞれが帰宅の途へ。私は終点から同僚と見知らぬ人とでさらに歩き、同僚の自宅から車で帰宅することができた。しばらくして同僚も無事帰宅したとのこと。

でかおは私の父が保育園に迎えに行ってくれていた。しかし家族全員の無事を確認できたのは三時間以上してからだった。

テレビから流れる画像はとんでもない事態・・・犠牲者がたくさん出ていることには間違いがない。帰宅後も余震は続き、想像を絶するものとしか言いようがない。何なんだ、この一連の地震は。かなり長いこと余震は続くし、大きいのもまだあるかもしれないと思う。


でかおは昼間の恐怖のせいかなかなか寝付かず、寝付いてしばらく夜泣きした。

しばらくは私も起きていたが、ふと眠ってしまった。しかし4時前の緊急地震速報で飛び起きた。今までと揺れ方が違う。今度は新潟?いったいどうなってるんだ?

これ以上被害が出ないでほしいが、北日本全体がゆれているんだからもうどうにもならない。これではどこに何が来てもおかしくない。地震のあった地域からはずれている方も、気をつけてほしいと思う。

朝が来てテレビから流れる画像に目を疑った。阪神淡路大震災の時の神戸の火事の画面で手が震えたのを記憶しているが、あのとき関東では揺れを感じなかったためか、怖さの感じ方が少し違っていた。今日も何だか一日中グラグラ体が揺れている。気のせいかと思うとやはり余震。
被害の大きな東北地方の方に対して何もできない。あまりにひどい。

せめて電気は必要以上に使わないようにすることくらいしかできない。ムダなエネルギーを使わないようにしていくことしかできない。あとはデマに惑わされたりしないようにしていくしかない。

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エビパラダイス

我が家の室内には凶暴な楊貴妃なるメダカと、ヒカリメダカの出来損ないみたいなシロメダカが暮らしている。水槽内には掃除係としてタニシとサカマキガイ、ミナミヌマエビも暮らしている。

何気なく水槽を覗いてみると、水底にモソモソ動く小さな生き物が。目を凝らしてみたら五ミリほどのミナミヌマエビの稚エビだった。いるわいるわ、小さいのが10匹以上はいる。えびの一部が卵を抱いていたのは知っていたが、いつの間にか卵を産んでもどこかにいってしまうし、水底をメダカがつつく姿が目撃されていたため、メダカが食べてるんだと思っていた。それにしても随分いるもんだなぁとびっくり。

いつの間にたメダカ水槽がエビに占領されるのではないかと思うようになってきた。

ちなみにメダカは毎日卵を産んでいる様子はない。まれに卵をつけておよいでいる個体はいるが、仲間やエビが食べてるのか稚魚にはお目にかかれていない。春が来て外に出てからがメダカ繁殖の本番かな・・・。

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保育園の力

息子でかおが保育園に正式にかようようになりまもなく一年になる。

入園した時にはまだ頼りない赤ちゃんだったはずが、最近はすっかり悪ガキと化してしまった。悪ガキと言ってもいい意味も含めてだ。

まず足がしっかりした。保育園自体は狭いが室内でもとびまわっている様子。公園などに連れていくと兄貴分、姉貴分の真似をして遊具で遊ぶようになり、気付いたら二歳になる前に大きな滑り台を一人で勝手に登り、滑って降りられるようになっていた。

保育園の給食が美味しいのか、何でもたべるようになった。食前食後にはお手伝いのおまけつき。そんなの家では教えてない・・・。いつの間にそうなったんだろう・・・。

最近は便意を感じると知らせるようになり、おしっこも時間で誘導すればおまるでできてしまうことも。トイレトレーニングなどしなかったのに・・・。

そして、突然言葉が出始めた。先月初めにインフルエンザにかかってしまったが、かかったあたりから意味不明に歌ったりしゃべったりしていた。インフルエンザによる異常行動の一種かと焦ったが、治りかけくらいから言葉が出始め、元気になったら騒がしくなった。

保育園から帰宅後は毎日何かしら歌って踊り、何やらいろいろお話をしている。そのかわりに絵本を毎日五冊以上は読まされるが・・・。
話が少し通じるようになってきてやっと意味不明の癇癪が減ってきたような気がする。

私がいない間に保育園でたくさんの経験を積んだ結果なんだね、でかお。これからはもっと長い時間保育園にいるようになっちゃうけど、でかおなら大丈夫だね。保育園のお友達や先生方にも恵まれてるんだね。いつの間にかみんなの名前言えるようになったもんね。保育園の先生方、園児にありがとう、である。

休日はレジャーも何もないけど、朝から近所の公園を走り回り、午前中いっぱい外で楽しみ、午後は昼寝、夕方は普段見られないテレビなど見ながら積み木とままごとがミックスの遊びで楽しんだりしている。
特別なことは全くしないママで申し訳ないが、それでもそれなりに育っているからよしとしよう。

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凶暴なメダカ

少し前からヒメダカを飼っている。いただいたものだが市販のものより随分赤いような気がしていた。小さな子供のメダカもミカン色。

楊貴妃という名前の種類だと知ったのはつい最近。いただいた方もただのヒメダカと思っていたそうだ。

我が家にいるのは現在総勢七匹。成魚五匹に子供二匹。子供の二匹はスリムで、最近ひれにきれいな赤みが出てきたばかり。身体自体はまだミカン色だ。大人五匹はもう立派に全身が金魚色。体型もすこしだけ丸みを帯びた何とも言えない曲線美。

水槽の中には冬越しのためにシロメダカもいる。総勢七匹いるが、みんなスリムで、秋刀魚のミニ版みたいな体型をしている。群れたりくっついたりしながらもお互いをどついたりはしていない。水槽内をすいすい泳ぎ回っている。

楊貴妃グループはというと、子供組を除いては餌をまくと一番にすっとんでくる、お互いにえさでどつきあう、同居のミナミヌマエビを追い回す、水槽の壁についた貝をひっぱがす、楊貴妃同士で上へ下への大騒ぎになってしまう。

シロメダカは大人しくおこぼれちょうだい状態。それでも体の大きいボスシロメダカがうまく群れを率いているようで、順番に餌を食べに来る。

楊貴妃なんて名前のわりには性格荒いなぁと苦笑したくなる。ちなみに我が家のベランダの池では黒メダカも十匹前後越冬中ですが、このメダカはよく群れを作りケンカもなく仲良く暮らすタイプのようで、かたまって越冬しておりました。

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