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2009年2月

夕方になると…

ブログの更新はたまに行っているものの、コメントへのお返事が遅れてしまい申し訳ないです。皆様、温かいコメントをありがとうございます。時間を見て徐々にコメント返しはする予定でおります。ご了承くださいませ。

夕方、家に一人でいると何だか寂しい気持ちになってくる。仕事をしていた時は「もうすぐ終わる~」と元気になっていたのに…。立場変わると不思議なものだ…。逆に今午前中は元気だ。ただ仕事をしてた頃から朝型だったので、いくら「仕事行きたくないな~」と思っても、このあたりは何も変わっていないのだが…。

でかおの夜泣きは、日によって全くない日もあったり何だかよくわからない。眠る時はミルクのせいか四時間から五時間も寝る日が…。かと思うとめちゃくちゃに起きている日も。新生児はこんなものかもしれないなとやっと思えるように。一度だけ夜何をしても泣き止まないのでしばらくそのままそばにいるだけで放置してしまった事があるが、その後はなぜかひどい夜泣きがない…。

首もぐらぐらせず、生まれたときから自分で首を持ち上げる、腕や足の力も強く、誰が見ても一ヶ月検診前には見えないでかさに育ってしまったでかお。生後すぐから夕方になるとぐずり泣きもする、意味もなく「あ~」「く~」と声が出るなど、育児書に出ていた新生児の域を超えていると思われるでかおに私も戸惑うばかりだった。

そんな夕方ぐずりをするでかおに最近になってやっと泣き止むツボがある事がわかった。妊娠中私が休みの日など寝転がって聴いていたフルートのCDをかけた日は、聴いていると寝てしまう。もしや、と思いピアノのCDをかけるとこれも寝てしまう。ちなみにモーツァルトやバッハなどではない(私が苦手なので。ちなみにこの二人の曲は私も演奏はするがものすごく下手…)。私の好きなショパンやドビュッシーでも平気だ。さらにうんと前に買った鮫島由美子さんの日本歌曲のCDをかけたら、これも寝てしまう。どうやら音楽なら何でも大丈夫そうだ。おめでたい子供である。

だったら試しに私の歌う子守唄なんてどうだ?と思ったら、これでも寝てしまう…。変な替え歌を歌っても寝てしまう…。おい、でかお、きみには歌の上手下手は関係ないんだね…。

高校時代ちょっとの間だけ合唱部に入り、声楽の先生から歌を教わった事があるが、これがこんな時に役に立つとは…。

しかも高校の頃、音楽の授業を選択していた時は、一学期、二学期は伴奏なしで外国の歌曲または日本歌曲三曲のうちどれか一つを選んで一人で全員の前で歌うというとんでもない試験を課せられていた。二年間これは続き、音楽選択者は恥も外聞もなく歌を覚えるために、休み時間に、さらには学校帰りの道で必死で課題曲を歌う羽目になった。周囲から白い目で見られたのは言うまでもない…。実はこの音楽の先生、合唱部の顧問だった。授業中も私はさんざん声楽でダメ出しをくらっていたのだ…。

ソプラノだかアルトだかよくわからない声域を持ち、どっちも歌える中途半端な声に、お世辞にも上手とは言えない私の歌なのだが、こんなので寝付いてくれるなら安上がりでいいね…。

ただ、悲惨な事に私が歌の歌詞をずいぶん忘れていた。童謡も一番しか歌えない、二番の歌詞がうろ覚え。小学校で歌う曲も、教員を目指していた頃はほぼ全部そらで歌えたのだが、何と今はほとんどうろ覚えにど忘れ、ごちゃ混ぜのオンパレード…。メロディーはほぼ追えるのに…。

家のどこかに歌集があるので、引っ張り出してきてみないとほとんどが歌えないや…。

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でかおの誕生日

やっとあの日を振り返る事ができるようになった…。

帝王切開は予想以上の手術だった。

時々帝王切開をした人に対して「痛い思いしなくてよかったね。」などと信じられない事を言う人がいるが、完全な誤解だ。これは無痛分娩とは全く違うものだという事をはっきり伝えたいと思い記事にしてしまった。人によって考え方はいろいろあるという事はわかっているが、あくまでも私の場合として読んでいただければと思う。

私の場合は腰椎麻酔のみだったので、意識ははっきりしており手術には感覚だけはある。、実は多少は痛みも感じたし、以前受けた虫垂炎の緊急手術以上に痛みも強く、さらに怖ろしいものだった。手術途中まで「怖い」「痛い」「まだ終わらないのか」をずっと言い続けていたのははっきり記憶にある。

でかおが出てきた時も感動というより「これは私に似てないな」、本当にそれだけだったのだ…。とにかく手術されてる感覚があるから痛いし、内臓を戻したりする感覚がはっきりわかるのだから。

しかしこの先は半分くらいしか私の記憶にはない。私はその後でかおが取り出されると今度は「痛い」「気持ち悪い」と叫び出し、やがて「早く眠らせろ~!」「早くおなか閉じろ!!」などと暴言を吐き出し、途中で先生に「眠りますか?」と聞かれ「そうしてくれ~!」と答えたため全身麻酔に切り替えられたそうだ(看護士さん談)。なのに手術室から出てきた時、私は全身麻酔にもかかわらずぐだぐだ何か言っていたそうだ(家族談)。

後で先生に聞いたら、おなかを切った時に一番最初に見えたのはでかおの顔だったそうだ。先生もあんまりない例だとちょっと驚いたそうだ。つまり私とは逆を向いて私と同じ格好をしておなかの中にいたのだと言う。しかもそのおなかには臍帯が絡んでいたのだと…おそらくでかおはおなかから出たくとも出る事ができなかったのだ。私のおなかの張りも最後は尋常ではなかったし、前日のおしるしの後自然分娩を待つかどうか先生からもう一度聞かれた時も「もう苦しいから切ってください!」と言うほどひどい張りだったのだ。本来ならこれは陣痛になるべき張りだったはずなのだが…。おそらくあと少し手術を遅らせていたら、子宮破裂を起こしたりして私もでかおも助からなかった可能性もあったのではないか…そんな気もする。

手術が終わった後はむしろ傷の痛みではなく、前半は子宮が収縮する痛みとの戦いになった。麻酔が切れてきて収縮を伴う腹痛…やや重めの生理痛みたいなものだったが、これが夜中の間続いた。痛み止めは使っていいと言われたのだが、これ以上ひどくなった場合に使おうと思っていたらそのタイミングを逃し、結果的にこの日の痛みが最高で、その後は何という事もなかった。

後半は腰痛に苦しめられた。安静に伴い身動きが取れないことによる腰の痛みがひどくなり始めたのだ。これは私にとっては腹痛よりつらいものだった。しかし、これは痛み止めでどうにかなるものではない。体位変換ができるようになるまでこの痛みは続いた。結局退院するまで痛み止めを使う事はないままだった…。

手術翌日の夕方には人の手を借りて立ち上がり、一人で何とかよたよたのペンギンみたいに歩く事ができるようになったが、その翌日には自力で立ち上がり、歩行が可能になった。その後はびっくりするほど歩行ができるようになり、傷の痛みも日に日に少なくなっていった。経過は順調そのものだったようだが、風邪をひいたのが誤算だったくらいだ。しかしでかおとの面会も限られた時間、さらにでかおには初乳をあげる事もできなかったし実際今もでかおはミルク主体で育っている。

これだけ見るとかなり楽なお産だったと思われるが、入院中には術前に点滴、筋肉注射1本に注射2本、腰椎麻酔、術後に筋肉注射を4本(おなかのガスを出させるため。これはガスが出にくい場合もっと打たれる。)、終日点滴が通算2日、午前中のみ点滴が2回、さらには静脈注射が退院前日まで毎日2回(2種類を一度に打ったり、点滴の側管から入れる時もあるので毎日痛い思いをするわけではないけど)。病院によって差はあるが、実際これだけ痛い思いはする事になるのだ。

帝王切開をした場合、次に出産をする時も帝王切開になる可能性が高い。自然分娩も不可能ではないがかなりの危険を伴うので、個人産院では帝王切開しか出産方法が選べない事も多い。今の段階で次の出産など考えている余裕はないが、次も帝王切開しますか?と聞かれたら私は迷わず「もうあんな思いは勘弁してくれ」と答える。

しかし、この恐怖の記憶も時間が経てばおそらくすっかり忘れてしまうだろうな、そんな気がしている。

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まさかとは思ったけど…

帝王切開で出産した私を気遣って、退院から一週間母が我が家に泊まり込んで炊事等をしてくれた。本来なら私の床上げまでいてくれるつもりでいたようで、私が一週間でいいと言ったら最初は「冗談じゃない!産後三週間は安静にしてなきゃいけないのよ!!」と怒っていた。ここでケンカにはなったがとりあえず一週間、もしまた無理があるようならたまに来てくれるという事で母との話は落ち着いた。

私は一週間産院に入院していた。その間は母子同室も数日。夜間預かりもあったので自然分娩の産婦さんよりずっとしっかり体を休めていたはずなのだ。そのせいかどうか知らないが、風邪がいまいちきちんと治ってないような状態なのを除いては、母体の回復は比較的まともだった…。傷もすっかり目立たなくなり、悪露ももうほとんどない。

ところが、一週間で自宅に帰った母がダウンしてしまったのを今日知った。昔から滅多に風邪をひいたりせず、熱など出した事もほとんどないのに、帰宅した翌日風邪の症状が出て、翌々日ついに発熱し寝込んでしまったという。

でかおの夜泣きのたびに起きて来てくれて、ミルクを作るまでの間でかおを抱いていてくれたり、同じように夜起きていて疲れているのだから無理しなくていいというのに家事を全部してくれようとした。私が家事をすると怒っていたくらいなので、本当に一生懸命私を気遣ってくれていたのだ。

しかし、母も既に高齢者の年齢に入ってはや数年が経っている。いくら丈夫とは言え昔のように動けるはずはない。しかも勝手の違う我が家で妙な気遣いをして疲れてしまったのだろう。もし当初のようにあと一週間こちらに泊まり込んでいたら、自宅へ帰ってからこんなダメージでは済まなかったのではなかろうかと思うとぞっとした。

親にとっては何歳になろうと子供は子供なんだろう。母にとっては私がいくらまもなく40代に到達するような年齢であっても娘は娘。しかし娘の目から見た母は間違いなく以前の母ではない。元気であっても確実に老いが見えてきているのだから…。性格的に最近はよく衝突もしていた母だが、それも老いから来る可能性もあるのでは?といっしょにいた一週間の中で何度かそう思う事もあった。そんな母に対して私は今まで何をしてきた?これからいったい何ができるのか?思わず考え込んでしまう事も…。ちなみにそう思いながら私は今まで母に対して何かしてあげられた事があるのか?とも…私自身がしてきた事を振り返ってみたら何もしてないよ…。

以前父に老いの影を見た時の事まで思い出し、涙が出てしまった私だった…。

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スープを作る

でかおが産まれて二週間。夕方頃から活動が活発になり、翌日午前三時前後までがほぼ活動時間というパターンが作られている模様。頼むから半年後くらいまでには昼と夜をきちんと区別してほしいなと思ったりするが…。

そんな私の睡眠時間は午前三時から午前六時、午後一時から三時などと変則的になっている。しかし…冷静に見ると夜中も全く寝てないわけではなく、一時間から二時間くらいは寝ているようだ。

しかも習慣と言うのは恐ろしいもので、午前六時になるとどんなに眠くても目が覚める!するともういくら寝ようと思っても午前中は寝られない!!結局洗濯をしても8時半には終わってしまう。早春の花が咲き始めたベランダの植物に水をやったりしても9時ちょっと過ぎ、結果として朝の10時頃までは元気になってしまう私だった。どうやら私は朝日を浴びないといられない性質らしい…。

この時間は幸い現在はでかおがぐっすり寝ている時間だ。今日は午前中母が来てくれた事もあり買い物をお願いして野菜がどっさり入ったスープを作ってみた。スープだったら野菜を切って煮込んで味をつけるだけでできてしまう。この調子で作ってみるといい加減なポトフだの、豚汁だの芋煮などの具だくさんの味噌汁だの汁物なら作れてしまう。午前中だと歩いて二分くらいのところにあるスーパーもすいていて、あっという間に買い物ができてしまう(さすがに出産後まだ一人で行ったことはないが…産院の退院一週間後診察に行っただけで体力を消耗したのでちょっと出かけるのが怖い)ので、午前中のうちにごはんの一部が作れてしまうのは気持ちがラクだ。

しばらくは昼夜逆転生活が続くが、無理のない範囲で朝のうちにスープを作っておこうとふと思った。これだったら一人でいても「食べ物がない~」なんて事にはならずに済むし…。

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あり得ない・・・

でかおが生後二週間を迎えた。私も退院から一週間が過ぎた。

でかおの激しい夜泣きは自宅に帰って二日間だけだった。その後は確かに昼夜逆転とは言え、オムツがぬれて気持ち悪い、おなかがすいた(この時は半端じゃなく泣き叫ぶ!)、などと泣く事はあっても、何時間も叫び続けるのはなくなった。あれはいったい何だったのだろう?

そんなでかおがやってきてから我が家は一気に洗濯物が増えたが、実はこれ、私がむやみやたらに増やしていたのだった…。

夜おむつ替えの手間を少し楽にしたいと思い、普段は布おもつを使っている私も新生児用の紙おむつを買ってきたのだ。紙おむつは確かに手軽だし、出かける時などは紙おむつを使った方が絶対にいいと思ったからだ。

しかし…使っているうち肌着や服がぬれる…。どうやら私の使い方がまずいらしく背中や脇にもれているらしい。これがさすがに何度も続くと私もさすがにへこんできた。

結局だんだん面倒になってしまい、どうせ家にいるんだからいいやと、妊娠中に縫いためてあったり、もらったりした布おむつを使うようになってしまったのだった。布おむつは産院でも使っていたのでこっちの方が気が楽だったのだ。

布おむつを使うようになって一番心配したのがウンチの処理。いくら自分の子供のものとは言えウンチを処理できるのか不安だったし、手で触るなんてあり得ないと思っていた。

ところがおそろしいもので、いざでかおが産まれてみると、便秘がちなでかおのおしりから半分出かかった硬いウンチを手でつまみ出したり、おむつ替えの時大量に出てどうにもならないウンチを平気で手づかみしてしまう私がいたのだった…ひええ。

これからウンチとおしっこまみれの日々が続くんだなあと実感してしまうひとときである。

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それでも起きないの!?

でかおがやってきて早くも三日が経った。

昨日午前零時から三時間ぶっ通しで泣かれてしまい、適当に放置しながらも抱っこを繰り返していた。ヘルプに来ていた私の実母もさすがに仰天してしまった模様。夫は今仕事がめちゃくちゃで残業のため、隣の別室にいるがこの泣き声でも起きない。夫といっしょに寝ている猫のごろにゃんがやってきて、「大丈夫?」と言わんばかりに夜中の授乳の時は付き添ってくれている。

そんなのもあって昼間起こしてみようなどとバカな事を考え、でかおの隣でひさしぶりに下手なフルートを吹いてみた。フルートを触るのももう半年ぶりぐらい。この音量、このひどい音質、さらに下手な演奏だったらさすがのでかおも驚くに違いないと思ったのだが…

起きない…。

そんなもんなのだなあと思った。でかおのペースに付き合うのは私だと思い知らされた。

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退院しました…

先週土曜日に、母子揃って無事産院から退院しました。

こちらに来ていただいた皆様、あたたかいコメントをありがとうございました。とてもうれしかったです。

帝王切開は予定通り1月30日午後に行われた。前日に風邪の症状が出て体調があまり良くなかったのを考慮の上で手術に臨んだが、やはり手術後に発熱し、風邪の症状が現れた。そのまま今も風邪の症状をひきずっていたためか、退院して緊張の糸が切れた途端に風邪の症状が一気に悪くなってしまい。退院の報告が遅れてしまいました…。

そんな私をよそに、でかおはまるっきりの昼夜逆転状態で、しかも激しい夜泣きじじいとして産まれてきたのだった。こいつは私に何か恨みでもあるのか?と思うほど何をしても夜中二時間から三時間泣き続ける…手術から五日目、産院で母子同室になって二日目の夜、精神的にもかなり不安定になっていた私は看護士の前で涙を流してしまい、ナースステーションにでかおを預かってもらう事になってしまった…。

夜泣きにマタニティブルー、母乳育児挫折(これはまだそうとは断言できない部分もあるが)などなど、産院にいる間にほぼ全部メジャーなトラブルは経験してしまったのだな、とやっと振り返る事ができるようになった。

結局昼夜逆転は退院した現在も全く治らず、しかも夜泣きも終息の気配はなくむしろパワーアップ!3700グラム前後で産まれてきたためか泣き声もただ事ではなく大きい。時折泣き止まない子供を投げてしまっただの、虐待しただのと言うニュースを聞いたりするが、そうしてしまった親の気持ちはわからなくもない、と実感した。ただ、あの手術を受けた時の記憶を最初から思い出すと、あんな思いをしてまで取り出した子供を投げてしまおうなどとは今は思わないが…。ちなみに昼間たたき起こそうとしてもなぜか時折「あ~」「う~」が出るだけと言うのだからすごいもんだ。

39週でこの世に出てきたはず、なのだが、看護士さんが見る限り「これは1ヶ月検診が終わった子供だね…。」と言われた。確かに産まれたばかりのはずなのに首がしっかりしているし、腕の力も足の力もかなり強い。意思表示らしきものが多少見られる。新生児のはずなのに新生児らしからぬ様子に私も戸惑うばかり、だ。

ちなみに私は風邪こそひいてしまったものの、手術翌日には既に歩けるようになっており、現在は傷もほとんど痛むことはない。体重も退院日にはすっかり妊娠前の体重に戻ってしまった。退院翌日には筋力低下に悩まされ、関節痛と腰痛に苦しみ、さらには息切れまでする有様だったが、今日の時点ではだいぶ回復へは向かっているようだ。

しかし、でかおの昼夜逆転状態にはしばらくおつきあいしないといけないもようなので、無理せずに過ごします。ブログの更新はしばらくの間気が向いた時だけ(というより息抜きしたいときだけだろ?)になってしまうと思います。

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もうすぐ帰還です

いよいよ明日、無事自宅へ帰還です。

一月三十日の午後二時ちょっと過ぎ頃、私のおなかの中から無事ちびが取り出されました。
ちびの体重は約三千七百グラム、身長もほぼ五十センチ、やはりややでかめでした。
性別は当初の予想通り男で名前は「でかお」と命名されました。

この世に出て来てすぐからあまりの態度のでかさに夫をはじめ家族も産院の先生もスタッフも呆然…。
しばらくいっしょにいて世話をしていた私にとっても唖然の赤ちゃんでした…。子育てはえらいこっちゃになる覚悟をこの一週間で与えてくれたでかおに感謝です…。

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