« 歯みがきガム | トップページ | 今治のタオル »

たった一つだけ

あれもやってみたい、これもやってみたいというのがとても強い私だが、そんな中でどうしてもやってみたいとは思わなかったジャンルがある。ブログでもカテゴリを作っていないがスポーツ、である。

そう、私は実は大の運動嫌いだったのだ…。

実際運動嫌いと言うと友人からは「ウソつけ」と非難される。実際走ったりするのはそんなに遅くはなくむしろ平均よりは速い。長距離走も速くはないがそれなりに走ることは可能。陸上競技ではほとんどハンデはなく、室内運動など(跳び箱やら鉄棒やら縄跳びやらいろいろ)も一応平均以上にはこなせた。

ところが私はボール競技は大嫌い。ボールが飛んでくると逃げ回るので球技大会はお荷物と化していた。友人は「ただ単に集団競技が嫌いなんでしょ?」と言うが、そういう問題ではない。とにかくボール競技は今も大の苦手だ。中学の頃など球技大会のたびにできる子からイヤミを言われて生きた心地がしなかった。

そんな私にも一つだけ得意と言えるスポーツがある。神様がたった一つだけ得意なスポーツを与えてくれたとしか思えないくらいのものだ。

それが水泳だった。しかし水泳も小学校4年まではほとんど泳げなかった状態だったので今思うとびっくりだ。私の通っていた小学校はスポーツ熱心な学校で、小学校4年生で全員25メートルを泳げなければいけないというおそろしい目標があった。私は顔を水につけるのすら嫌がる子供で、水遊びは好きだが泳ぐのは大嫌いだった。浮かないし進まないし何が楽しくて25メートルも泳げなくちゃいかんのか?と思っていた。

夏休みの始まる前担任からクラスの10名ぐらいの児童の名前が呼ばれた。私もその中に入っていた。そのメンバーは夏休みにプール特訓があり、一週間連続で特訓をして25メートル泳げるように練習しなければいけないのだというのだ。

私はそれを聞いてうんざりした。クラスには泣いている子もいた。泣いている子や同じように名前を呼ばれがっくりしていた友達といっしょに特訓には泣く泣く参加することになった…。

特訓は何と教頭先生が中心になって行うと言う。何でここで教頭先生が出てきて特訓なんかするんだよ、と私は思ったが、特訓が始まってすぐその考えが誤りであった事を知った…。

教頭先生の特訓はとてもおもしろかった。まず自分が泳いで見本を見せる。お世辞にもスマートではない先生だったが、泳ぐのはとても上手だった。さらには教えるのもとても上手で、水が怖くて泣いていた子たちにも本当に目をよくかけてくれたり、潜るのも満足にできない私などに対しても何一つ怒ったりはせず気長にコツなどを教えてくれた。そして何よりできなかった事をクリアできた子をおしみなくほめてくれた。さらに特訓の最後にはお楽しみの水遊びなどもあり、特訓の時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

そんなこんなで毎日楽しく水に親しんでいるうち、いつの間にか参加していたほとんどの子が25メートルを泳げるようになっていたのだ!水を怖がっていた子の中にも25メートルを泳げるようになった子も出ていて私も本当にびっくりした。私も例外にもれず25メートルを泳げるようになっていた。さらにその後教頭先生が飛び込みまで教えたため、ほとんど全員が飛び込み台から飛び込んで25メートルを泳げるようになってしまったのだった。

2学期になってすぐの水泳の授業で担任の先生は仰天していた。私のクラスで名前を呼ばれ特訓に参加した全員が25メートルを難なく泳いでしまったのだから…。しかも既に泳げる子よりも速いスピードを出せるようになった子もいた。私も実はそのうちの一人だった。

そこで25メートル泳げるだけではおもしろくなくなってしまった私。もっと速く泳げるようになりたい。、どうせならもっときれいにクロールを泳ぎたい、平泳ぎや背泳、バタフライも泳ぎたい。そう思った私は親に「水泳習いたい」と言ってみた。あっさりそのお願いは許可され、スイミングスクールに通うようになった。小学校5年生の時だった。

その後小学校卒業までスイミングスクールに通い、クロール、平泳ぎ、背泳までは確実に泳げるようになった。小学校6年生の時には何を間違えたかクラスの女子で一番速くクロールを泳ぎ、あげくにクラス対抗戦で1位をとるという快挙を成し遂げてしまった。その結果市の大会出場メンバーに選ばれはした。

しかし私は努力が大嫌い。毎日学校に行って朝から練習しなくてはならないのがイヤだった。さらに自分の好きな事が水泳をする事でできなくなるのが悔しい。水泳の練習を休んではいけないと言われたが、それじゃ大好きなピアノも続けられない。「一番好きな事を続けられないのだったらそこまでする必要はない!」と市の大会への出場は辞退した。

中学になってからも水泳を習っていたのは幸いして、水泳の授業だけは苦痛に思わなかった。水泳部の選手より速く泳げるばかりか、男子の一部を除いてはスピードでは負けなかったので、その時だけはびっくりされた。

高校もプールがあった。臨海学校で遠泳をやるような学校だったので、水泳の授業は結構熱心だったが、ここでもほとんど苦労はしなかった。ここで長い距離を泳ぐのが好きになり、平泳ぎで1000メートル程度なら大人になった現在でも泳げるくらいになった。

そして大学へ行っても水泳の授業が…教育学部だったので水泳は必須だったのだ。ここでも一通り泳げたのが幸いし何の苦労もなかった。大学にも夏に水泳の集中講義があり、既に泳げるメンバーとして参加させてもらった。ここで「バタフライ泳げたらいいな」などと言っていたら、担当の先生に教えてもらう事ができ、恐怖の水深2メートルプールにおびえながら不完全ながらもどうにか50メートル泳げるようになったのだった。

大人になってからも時々趣味で泳いだり、旅行先にプールがあると知ると水着を持っていって必ず泳いではいたのだが、最近はさっぱりである。

しかしオリンピックなどで競技を見ると今も「泳ぎたいなあ」と思う事はある。水泳の競技は見ていて楽しいと思う。夫は「普通に暮らしていて泳ぐ必要はないから水泳には興味はない」などと言うが…。

いずれにしても一つだけだが得意だと言えるスポーツがあるのがうれしい。それには小学校4年の頃の教頭先生、親などの協力があってこそのものだったのだな、と今更ながら感謝している。

|

« 歯みがきガム | トップページ | 今治のタオル »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 歯みがきガム | トップページ | 今治のタオル »