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2008年1月

自分の国の歌を吹くのは…

日本の歌ってフルートでまともに吹くとなると難しい。

特によく小学校や中学校で歌ったような唱歌については旋律自体それほど難しいものがないのだが、シンプルなだけに間違えると吹く方は「げっ!!」、聴く方も「えっ!?」となってしまう。

さらに難しいなと思ったのがその歌の歌詞の流れ。イントネーションやアクセント、息を継ぐ場所が歌詞の流れに合っていなかったりすれば、音が合っていようと聴いている方は確実に「?」と思ってしまう。

日本の歌だと思わず口ずさんでしまう人も多い。昨年先生のミニコンサートに行った時は知っている歌を小声で歌う人が見られた。この時は当然歌が途切れることはなかったが、もしこの人が演奏を聴きながら歌っていて、明らかに歌詞の切れ目ではない部分でフルートが息継ぎしたとしたら…当然の事ながら歌は止まると思う。

まだそんなところまで考えながら吹くレベルにはないが、歌詞の流れをしっかりつかんで曲を吹いていきたいなと思う。日本人であり、日本語がわかり、使えて、日本語で書かれた歌詞を理解でき、日本語で歌っていたからこそなおさらそう思う。フルートで日本の歌を歌う、そんなイメージで吹いていくのを目標にできれば…。

そう考えるとフランスで作曲されフランス語の歌詞がつくような曲だったら多分フランス人が演奏した方が上手だという話になったりするのだろうな…。英語の歌詞が本来の歌詞の曲なら英語圏の人の方が上手に吹けるという事になるのだろうな…。

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課題は高音と指づかい

今日はフルートのレッスンだった。

レッスン前に自宅のテレビを見ていたら、とんでもない歌が流れていたので出がけにおなかが痛くなるほど大笑いしてしまったのだった…。土曜日の10時から10時半くらいの間に「ケロロ軍曹」と言うアニメをやっているのだが、そこで歌われたエンディングテーマ、今日初めて聞いてぶっとんでしまった。CDも出ているみたいなので「パクリ」ではないにしても…「ケロ猫のタンゴ」ってのはどうかと…。エンディングのアニメの画面を見て笑い、さらに歌詞を見て大笑い…。

今日もアルテス13課から始まったが、どうも高音がうまく出てくれない。結局ソノリテの半音ずつ上がる練習で音を安定させてから課題へ。高音を出す際おなかをつかい息圧を上げなければいけないのだが、私は無理やり音を出そうとして口の形を変えてしまっているのだ。自分でもうまくいかない時はそうしているのがわかる。おなかと息圧の連動がまだうまくいっていないのだ。

さらに私の弱点は指づかい。低音には何の不安もなく、高音のE、Fまではまともに覚えている。ところが私にとって非常に音が出にくいF♯で混乱するとそのまま、G、G♯、Aと全部がおかしくなってしまうのだ。A♯となると押さえるキーにも変化が出るのでもうついていけない。でもこれは練習次第でどうにでもなる事、明らかに練習不足からくるものだ。

指づかいをしっかり覚えていないことによって、本当ならきちんと吹けるはずの課題が吹けていない、それがよくわかった。これはきわめて初歩的なことじゃないのか…。

13課は指づかいがしっかりしてくればそれなりに音が出ているので大丈夫だろうと先生からは言われたが、スケール、アルペジオを含めてエチュード2つは次回のレッスンでもう一度やり直しになった。

そして今日は待望の日本歌曲のレッスン。曲集も新しく買ってもらったのでこれからは遠慮なく楽譜に書き込みもできる。ピアノ伴奏譜もついているので、自分で弾いた伴奏を録音して合わせることも可能だ(最近全然弾いてないから下手。なのでそこまでやらないとは思う)。

曲は思った以上にしっかり吹けていたが、中間部分のアレンジが入るところでまたまた指づかいのうろ覚えが発覚!この部分に高音が多く、微妙に音がずれたり、変な音が出たり、一個間違えたとわかるとその後も間違え続けどうにもおかしな事になってしまった。この部分はフルートが伴奏のようになるところ、伴奏とどう合わさっていくのかが全くわからないまま練習してきたので何となくしっくり来ない。その後は転調してメロディーになるため何の問題もなかった。

結局転調部分を中心に練習することになった。その後先生にその部分のピアノを弾いてもらったところ、どこがどうなるのかだいたい流れがわかった。これならだいぶ練習しやすくなりそうだ。

まだまだボランティア演奏への道のりは遠い…。

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見切り品の再生

昨年あたりから花の苗を買うとき、時々見切り品ねらいをするようになった。

ほしいと思っていた植物が赤札を付けられしおれていたり、疲れていたりするのをまずざっと見て「これなら何とかなるかな?」と思う株を見つける。そしてしばらくして目をつけた株が売れ残っていれば「わ~い、買いだ!」と買ってしまう事が…。

ただし、その年は花を期待はできない。場合によっては花もわざと咲かせない。目標は来年以降へつなげること。株を再生させて体力をつけ、来年以降に花を見るのだ。「わざわざそんな気が遠くなるようなことをしなくても…。」「ばか。」「安物買いの銭失いじゃないの?」と言われる事は数知れず…。

来年以降といっても時間が経つのは早い。適当に世話をしながらあっという間に一年経って、その株に芽が出て花が咲いたりするとなぜかすごくうれしい。株が増えてたりしたらもっとうれしい。その次の年も花が咲いたりすればもっともっとうれしい。

そんなのが楽しくてこれからも見切り品ねらいをしようと思っていたりする。最近家で育てている植物は半数近くが見切り品だったものなのだ…。

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ひさしぶりの雪と寒さに思うこと

冬だから寒くて当たり前と言えば当たり前なのだが…。

今日は南関東でも雪が降った。昼過ぎに雨になり、再度雪になり、冷たい雨は今も降っている。

昨年冬は私は降雪を目にしなかった。多分昨年はほとんど降っていないだろう。昨年はからからに乾いた晴天がやたら多かったが、「寒い」という感覚がないまま冬が終わってしまったのを記憶している。

今年は年末にやけに暖かい日が続き「今年も暖冬か?」と心配した。年末の暖かさで春の花の芽が伸び、間違ってつぼみをつけてしまった植物も…。やっと冬らしい冬の寒さに戻り、ベランダの植物たちも少しお休みをしているようだ。

しかし、私が子供の頃の冬の寒さに比べたら確実に暖かくなっているのは事実なのではないかと思う。毎年必ず一回は雪合戦をしていたし、雪が降った後道路が凍って転んだりしていたはず、だ。冬は外の花壇に花が咲いているなんてこともなかった。一番寒い時期になると緑はほとんど見られなかったと思う。畑など地面が出ているところには霜柱も見られたりした。バケツや水溜り、池の水が凍るのも毎日見ていた。

今言われている人間の生活がもたらした環境破壊によると言われる温暖化の影響なのか、それともこれは温暖化とかいう事ではなくて単に地球規模での気象の変動(氷河期との間氷期とかいうような大きな変動)の一端なだけなのか…。

もし地球規模での気象の変動なのだとしたら、人間の力でどうのこうのなるものではない。この先待っているのは何だ?と思わず考えてしまう私だった…。おそらく、多分、当然…これ以上書くのはもうやめようというような事しか思い浮かばない…。

もちろんだからと言って人間はなすがまま何もしなくたっていいんだ!と言いたいわけではないことを最後に付け加えておこうと思う。じゃあ何をすればいいのか?となるとこれはそれぞれ個人が自分で勉強し、考えていく事だろう。人によって何をしようと思うかはそれぞれ違って当たり前。私は私ができる範囲での事を少しずつでも実行していくだけ…。

じゃああなたはいったい何をしているのか?と言われたら…。

「省エネとうたって寒くても暖房をつけません」なんて私は絶対にやらないしできない根性なし。冷えれば風邪の菌にもウィルスにも愛されやすい体になってしまう。

暖房はつけてもいいのだ。居る部屋を一つに限ってカーテン、扉もしっかり閉めて20度で暖めればしっかり暖かくなる。そんな部屋で温かい食べ物を食べればぽかぽかだ。食べ物は冬に採れる野菜がどっさり入った鍋物で体を温めれば言うことなし。

お風呂は室内も暖めておいた方がいいのだ。じっくり半身浴で冷えが取れるまで温まる。こうすると湯冷めしにくくなるのが不思議だ。

寝るときは靴下重ね履きして、ネルのパジャマにネルのシーツ、ふわふわ毛布に湯たんぽ一つあれば十分。これでさらに猫が布団の中でいっしょに寝てると暑いくらいだ。

普段はズボン下に靴下重ね履き、ババシャツ一枚にマフラー、マスク。さすがに職場でマフラーはないのでネックウォーマーをつけてひざ掛けしてお仕事。職場は省エネで20度を切る暖房だがこの格好なら寒さの心配なし。

いかがでしょう。全然立派な事してないのがわかるでしょう。全然我慢してないのだから…。

低い温度でも暖かくなれるよう知恵を絞るのも冬の楽しみの一つかな?と思えるようになってきた今日この頃だったりする。

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思い出の笛

コカリナという笛がある。もともとハンガリーの笛らしいのだが、日本ではあまり知られていないみたいだ。長野オリンピックの時伐採された木で作られた笛ということもあり、長野の出身の方だと「知ってる」という話を聞くことがある。

この笛はとてもシンプルな笛で、筒型の木に吹き口がついて指穴が6つ。しかも管は閉じられている。上手に吹ければ優しいきれいな音が出る。フルートより簡単な作りでいかにも簡単に吹けそうな楽器と思いきや、これが意外と難しい。

まず安定した音を出すのが難しい。もともと楽器によって音域が1音違うなんてことはざらにあるので、まず持っている楽器がどの音域をカバーするのか知らないといけない。さらに長い時間吹いていると管が閉じている楽器のため水滴がたまり音が悪くなったりするのだ。定期的に水分を吸い取ったりする必要がある。

フルートがたくさんのメカを持っているのは、それだけで音を安定させる機能が充実しているということなのだろうか。指穴とそれをカバーするキーががたくさんあるのも、指づかいの違いで音を変えることができるようにするための便利な機能、ということか。

実際コカリナは習わず教則本を買って自分で練習した。ある程度吹けるようになってからは旅行などに持って出かけたりしていた。

ある時実家の両親、弟夫婦と5人で蔵王へ旅行した。この時もコカリナを持っていった。

蔵王ではハイキングをすることになり、私たちとツアーの数人、確か合わせて11人ががいっしょに蔵王の山に登った。この時はガイドさんが3人ついた。2人のガイドさんは見習い中の方だったが、1人は大ベテランだった。しかしこの人はおっかない一面を持っていた。見習い中のガイドさんがへまをした時は結構厳しい言葉で指導、山登りをしているメンバーが少しでも危険なことをすればきつくは言わないものの容赦はしなかった。さすがにみんなこれには驚き、おとなしく山のぼりをしていた。

そんな中で体力のない私はこのベテランガイドさんの後をついて登っていた。歩くのが遅く足元も危険(当時足首を捻挫しまくり、じん帯も伸びきってしまっていた)なのでガイドさんのすぐ後を歩くことにしたのだ。ガイドさんはそんなに早く歩いてはいないので歩きやすく、写真撮影を趣味とする私にとっては幸いだった。山に登って生まれて初めてコマクサが咲いているのを見て私は一人でカメラを持って大喜び。ガイドさんがおっかない事はすっかり忘れてハイキングを楽しんでいた。

山登りを楽しみ、コマクサや「おかま」を眺めたり、山頂からの風景を楽しんでから来るものは下山の道。山登りは登りより下りの方がきつい。早く下りる事はできるが足ががたがたになる。下山途中でメンバーがかなり疲労してきたのに気がついたベテランガイドさんは休憩を取ってくれた。

その休憩時間中に私はコカリナを取り出して少し離れた所で吹いていた。そんなに大きな音が出るわけではないので聞こえないだろうと思っていたのだが、音はメンバーに聞こえていたようで「何だ何だ、誰か笛吹いてるよ。」という話になったそうだ。家族はみんな誰が笛を吹いているか知っていたが黙っていたようだ。するとおっかない顔をしていたガイドさんがにこにこしていたという。みんなびっくり仰天したそうだ。

その後下山して、ホテルまでのバスが来るまでしばらく時間が余っていたためハイキングに参加したガイドさん、ツアーのメンバーと話をしていたところ、おっかないベテランガイドさんが私に近づいてきた。

「さっき休憩中に笛を吹いていたのはあなただよね。」

ひえええ、こりゃ怒られるか?と思っていたら意外な言葉が続いた。

「その笛で何が吹ける?もっといろいろ聴いてみたいんだけどね。」

えええ?と思いつつもエーデルワイスを吹いてみたところ、ガイドさんはにこにこしながらもっと聴きたいと…。こちらも調子に乗って日本歌曲を中心にいろいろ吹いてしまった。

「休憩中に吹いた時、うるさいって怒られるかなって思いました…。」正直にそう言うとガイドさんは大笑い。「その笛は木でできているんでしょ。木でできている笛だと嫌な響きにはならないんだよ。鳥の声のような自然の中にある音のように聞こえるんだよね。」そのような事を言われたように思う。

その後も調子に乗って、吹くか吹かないかは別として旅行となるとコカリナを持って行く私だった。

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干し野菜やってみた

先日「るーさん」のブログで干し野菜が紹介されていた。おもしろそうだなと思っていたら近所の本屋さんで「干し野菜クッキング」まで見つけてしまった。

市販の野菜ほとんどの干し方が載っているのでなかなかおもしろいと思い購入。早速使いかけのにんじん、ごぼう、れんこんを干してみることにしたのだ。

しかし今日の南関東はくもりがち。午前中も太陽は出ていたが日差しは弱い。夜からは雪が降るなんて話もあるくらいだ。そんな中で午前中だけ野菜を干してみた。完全にからからというわけには行かなかったが、少ししんなりとした干し野菜ができた。

この野菜できんぴらを作ってみることにした。干した野菜をごま油で炒めてみると、水分が少ないせいか結構油を吸いつつもしんなりしてきた。これにだしと醤油、みりんを少し、唐辛子を入れなかったのでコチュジャンほんの少しを入れてみた。

調味料はあまり使わなかったはずだが、きんぴらが思ったより甘くなった。野菜の味も少し濃いような気がする。少し煮汁を残して冷ましてみると、薄味なのにがよくしみているばかりか、野菜が甘くてしゃきしゃきしている。

本日の夕飯のおかずの一品にはこのきんぴらとなった。多めに作ったので明日以降もおいしく食べられそうだ。

干し野菜、なかなかおもしろそうだ。これからも週末の晴れた日を利用して干し野菜を作ってみようと思う。二人だと野菜を余らせることも多いからだ。さらに余らせるからと野菜を買わなくなってしまいがちで、普段の食生活に野菜が不足気味。それを解消できるかもしれない。るーさん、いいもの教えてくれてありがとうです。

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アメリカまで五日で?

先週私の携帯電話に友人からメールが届いた。

友人は昨年のクリスマスに出国し、今はアメリカで暮らしている。ご主人の仕事の関係で3年間アメリカで暮らすのだそうだ。出国の日はちょうど転居の関係であけられず、見送りすらできなかった。

アメリカへ渡る前に友人には一度会いたかったのだが、私の悪い癖で「相手が忙しそうだからあまり無茶言ったら悪いかな?」と変に遠慮してしまい、そのまま一年が経ってしまった…。

それが心残りだった。アメリカへ渡ってからでもいい、「元気で3年間いろんな経験をしてきてね!」という気持ちだけは伝えたいと思っていた。

そんな中でカレンダーとフレームのセットを見つけた。Happy Life Factoryというネットショップのものだった。私は昨年もこのショップのカレンダーを買ったが、北海道の四季の写真がとても素敵だったのと、このカレンダーを飾っていたら不思議と何事でもいい方向に動いていくような感じがしたので今年もリピーターしようと思っていた。そうしたら今年はフレームとのセットがあったので私の分と友人の分いくつかを購入したのだ。アメリカへ渡った友人も含め、私と親しくしている人は偶然にも皆今年大きく人生が変わる分岐点にいる人ばかり。縁起担ぎではないが、送った人みんなにいい事があってほしいと思ったからだった。

そのうちの一つをアメリカに送ることにした。友人がアメリカへ着いた時にこれが届いていたらサプライズになるかなと。ところが、国際郵便など送った事のない私。いずれにしても航空便になるのはわかっていたのでクッション材入りの封筒を用意して郵便局へ出かけた。しかし…割れ物だということで動かないようにしてほしいという話があったこと、航空便でもきちんとした保障のあるものとないものとあることがわかり一度撤退…。

きちんと届いてほしいと思ったので保障のある航空便(エクスパック)にすることに決めて再度郵便局へ。しかし…ラベルを見て呆然。全部英語で表記しないといけないのだ。私は英語が苦手、いくら簡単な英語で済むと言ってもその場で書くのはしんどいので再度撤退……。

家で落ち着いてラベルを書いてみると思ったより簡単だった。ラベルを専用の封筒に貼りクッション材入りの封筒に入れたカレンダーとフレームのセットにメッセージカードを入れてしっかり固定して封詰め。それをそのまま専用の封筒に詰めてしまった。

次の日の昼休みに郵便局へ持っていってやっと集荷。この日が12月19日。アメリカまで航空便だと約二週間かかって届くと言われた。そうすると新年早いうちにアメリカの友人に届くだろうな、と思いながら郵便局を後にした。この時点で既に友人がアメリカに到着する前に郵便物が届くという話はなくなった…。

ところが友人からのメールを見て仰天した。「24日にアメリカに着いたときには、もう届いていましたよ。」メールにはそう書かれていた…。「うそだろ…。」と思い郵便物を出したときのラベルの控えを見ると、やはり受付日には12月19日と書かれている…。

日付変更線を越えるとは言え、たった5日間でアメリカへ郵便物が届くということにとても驚いた。いったいどういう処理がなされて5日間でアメリカへ行ったのだろう。おそらく毎日アメリカと日本の間を飛ぶ飛行機が飛んでおり、相当早くに処理がされて郵便物は先にアメリカに渡ったのだろうと思う。日本でも小笠原では船が5日に1便、その船か貨物船で郵便物が運ばれるので5日間で郵便物が届かないことがある。物理的な距離と交通を考えた距離とは違うのだなあと思った。

しかもクリスマスの直前で簡単に郵便物が届く時期でもないのに…しかも私が最初に考えていた彼女の到着前に郵便が届けられたらいいな、と思っていた事が実現したとは…。

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寒い日は鍋

ここ数日、南関東もとても寒い日が続いている。先週は夜中に初雪だったらしい。明日ももしかすると夜から雪が降るかもしれないという。

冬になると我が家の食卓には鍋が乗ることが多くなる。引っ越した先には床暖房もあるし、以前住んでいたところより部屋が広くなったため、全室を暖められるくらいのパワーが出るエアコンもある(ただしエアコンは一台しかないので実際全室暖めるのは無理だが)。部屋は南向きなので昼間は床暖房もエアコンもつけておらず、夜も低い温度での暖房にしている。しかしここ数日は寒かったのでさすがに温度設定を22度と少し高くした。

ただ部屋を暖めただけで体が温まるわけではない。そんな日はスーパーに行って白菜と大根、ねぎ、水菜、にんじん、焼き豆腐、さらにだしにもなる具材を買う。だしにもなる具材としてはいわしのつみれだったり鶏団子だったり、豚肉の薄切りだったり。

家に帰って炊飯器をセットし、野菜と豆腐を切ってだし昆布と一緒に水をはり、土鍋をコンロにかける。団子が入るときは団子もいっしょに入れて煮込む。煮立ったらちょっとだけ蒸らしておく。下ごしらえも楽なのが鍋のいいところだ。

そしてカセットコンロを引っ張り出し卓上にセット。土鍋を持っていって火にかけ、あつあつの鍋を囲んで夕食。野菜もどっさり食べられるせいか満腹感が普段の食事と全然違う。たくさん食べているわりにもたれない、おなかに変に残らない。我が家では冬の間は一週間に少なくとも一度は鍋物が食卓に上るようになる。

しかし今年から冬は夫の残業が増える。家には小さな土鍋が二人分あるので、平日はきっと別々に鍋を作るようになるかもしれないな、とふと思った私だった。小さな土鍋なら違う時間に帰る場合でも十分に対応できる。下ごしらえは同じ時間にしたとしても火をかける時間が調節できるから、寒い中遅く帰ってくる夫に温かいものを食べてもらうことができる。

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振袖の思い出

毎年成人式の日が変わるようになったのは何年か前だったような気がする。当然ながら私が成人式を迎えたときは毎年1月15日が成人式だったのだが…。

近所をふらりとしてみると紋付袴姿の男性や、振袖の女性が数人見られた。おそらく皆成人の集いのようなところへ行くのだろう。美容室を覗いてみるとやはり振袖姿の女性が。私もずいぶん前に振袖着たなあ…と懐かしくなった。

成人式を迎える前、私は着物など別に着たいとも思わなかったので振袖など買ってほしいという気もなかった。着物なんて面倒だと思っていたのだ。だからと言って車がほしいなんてことも全くなかった。偶然大学に受かったことでごくごくまじめな大学生をしていた。大学行っちゃっただけで余計な費用がかかるのに着物を買うなんていったらいったいいくらかかるんだよ?と思っていたのだ。さらに成人したからと言って何が変わるの?スーツでも着て親族に挨拶くらいする程度でいいじゃん、と思って過ごしていたのだった。

前の年の秋、両親のどちらかがきもの会社の新聞広告を見つけ、成人式の振袖を一日無料でレンタルするというとんでもない懸賞に応募していたようだ。ところがそれが当選!しかもそれはどの振袖をを着ようと費用は全くかからないという。私は全く着物を着るつもりもないまま仕方なく母に連れられいっしょにきもの会社に出かけたのだった。

もともと着物を着る気がないのだから選ぶのも適当な私。しかし店員さんからは選ぶもの全てにダメ出しが。確かに着ると「似合わねぇ…」「何これ~?」の連続で私はいい加減イヤになってしまった。そんな時に店員さんがある着物を持ってきた。何やら有名な染織の方が作った一点ものの着物だとか。薄いピンク色から全体に絵が入り、かなり多色の色が入りながら上品な感じになる着物。物知らずの私が見てもこれはレンタルなんかで貸せる着物じゃない。「そんな高いのはちょっとなぁ…。」と言う私に店員さんは「どの着物を着てもレンタル料は無料なんですよ。それだったら一生に一度の成人式、このくらいの着物を着てみてもいいんじゃないですか?」と…。

しぶしぶ当ててみたら意外な事に似合う。「あれれ?」と思い他のものも当ててみたがその着物がどう見ても一番似合う。「あらら、これがどうやら一番似合ってるような気が…。」と言うと店員さんは笑った。「まさか一番最初にこれがレンタルで出て行くとは思ってもいませんでした。」とのこと。どの着物を選んでもレンタル無料と言うのはウソではなかった…。私自身もこの着物なら着てもいいと思ったのでレンタルしてもらうことに決めた。

しかし「私が着た後この着物どうなるんだ?」そう思った私は店員さんに「レンタル終わった後この着物はどうなるの?」と聞いてみたのだ。すると思わぬ答えが返ってきた。「これは安く払い下げられてレンタル用として貸衣装屋さんに売却になります。」と。一回人が袖を通しただけでもほとんど値段がつかず払い下げになってしまうのだそうだ。

この時には私自身がこの着物を気に入ってしまっていた。「レンタル後に買い取りってできるの?」と私が発した一言に母も店員さんもびっくり仰天!その後は大騒ぎになってしまった…。母は顔を引きつらせた。最初レンタルでいいと言ったのに「ほしい!」と娘が言うとは思わなかったので手痛い出費を覚悟したのだ。店員さんも呆然としていた。レンタルするつもりだったのに買うとか言われて店員さん一人での判断ができなかったらしい。結局その場では結論が出ず、とりあえずレンタル契約はしてお店を出たのだった。

しばらくしてお店から連絡があり、振袖はレンタル後買い取りという形になり、本来の値段よりはるかに安価で私の手元に来る事が決まった。その値段だと私がアルバイトで多少貯めたお金が出せる。両親は「何てこった…。」と言っていたものの、アルバイトで貯めたお金を超える部分の買い取り分を出してくれたのだった…それは今もありがたいと思っている。

結局着物を着て成人式にのぞむことになった私だった。あんなに着物を着る気がなかったくせに、いざとなったら自分が気に入った着物を着られた事はとてもうれしかったのだ。そして何より驚いたのは着物を着てもほとんど苦しくなく、歩いたりするのも何も問題はなかった。さらに思っていたより着物での動作に支障がなかったこともあり、着物を着ることに対して「面倒だなあ」とか「やだなあ」という気持ちは薄れた。成人式後人間としては私自身特に何が変わったというわけではなかったが、確実に着物が好きになった。

その後も友人の結婚式などでその振袖を2回くらい着た。大学の卒業式も着物を着たし、自分の結婚式でも着物を着た。夏の結婚式が数回あったのでその時は着物を着なかったが、それも夏以外の時期だったら確実に着物で出席したと思う。今もごくたま~にだが着物を着ていたりする。

この振袖をきっかけに着物が好きになるとは思ってもいなかった。世の中何がきっかけで興味を持つかなんて本当にわからないものだ、と思った。

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レッスンノート

本日のフルートのレッスンから簡単な記録をつけることにした。

1年日記を購入し、レッスンで吹いた曲、注意されたこと、よかったこと、宿題、次回のレッスンを簡単なメモで記録していくようにしたのだ。B5の手帳サイズの1年日記でちょうど2分の1ページ分。たいしたことのない記録だ。

昔ピアノを習っていた頃、宿題はして来ない、練習はしてこない、楽典を教えようとすると逃げ回ってしまう私に呆れたピアノの先生はレッスンノートをプレゼントしてくれた。そこにレッスンの記録を書いていくのだ。さすがにこれを渡されてからは多少練習をするようにはなった。宿題忘れたという言い訳も、前回注意されたことが守れない言い訳もこのノートがあったら通用しないからだ…。当時ピアノを習い始めて4年くらいの頃。ちょうどこの時期くらいからいくら練習してもうまく弾けなくなり、なかなか練習曲が仕上がらないというスランプを迎えてしまった。ノートには同じ宿題がずらずら。それを見ながら私はイライラ。ピアノに当り散らす日もしばしば。そんな状態が1年くらい続いたが、ある日突然そのスランプを抜け出した。その時に振り返ってみたのがレッスンノート。全く進まないと思っていたものの実際には少しずつ前に進んでいたという記録がその中に書かれていた。楽譜がまともに読めないままピアノを弾いていたのが、きちんと楽譜を見ながら弾くようになっていたこと、全く理解できていなかった楽典が多少なりともわかるようになっていたこと、人が弾いたのを真似ずに自分で練習ができるようになっていたこと、そしてただ適当に弾くのではなく自分で考えながら表現するようになっていたこと…1年間苦しんだのは、私が楽譜を見て曲を弾くという習慣がなかったからだと後でわかったのだ。

ピアノとは違い途中体調を崩したりどうにもはずせない事で何度も中断しながらレッスンを続けていたフルート。私はどちらかと言えば予習はあまりせず、その後も復習をしないと話が進まないタイプ。レッスンノートをつけて練習をすることによって復習が確実になるのではないかと思う。さらに今後進んでいく中でつまずいた時何が問題になっているのかわずかな記録からわかることもある。

また、これからもフルートは突然中断を強いられる事があるかもしれない。中断してもその中断期間に何をしたらいいのか、復帰する時どこまで今できているのかわかればいいようにしておこうとふと思ったのだ。

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思わぬ方向に…

今週から突然フルートレッスンを再開した。

フルートをまともに吹くのはほぼ2ヶ月ぶりという状態。以前体調を崩し2ヶ月休んだ時は驚くほど楽器の音が出なくなり、まともに吹けずアルテスを少し戻った。今回もちょうど2ヶ月…。おそらく音が出ないだろうと思った私は曲集は持たず、アルテスとソノリテだけを持ってレッスンに出かけた。

アルテス13課、もうずいぶん吹かずにいたままになっていた。最初から吹き始めたものの、以前のように音が出ないようなことはなかった。ただ発表会の付近でだいぶ口の形がやわらかくなっていたのが少しの間思い出せず、慣れるまで10分くらいかかったものの練習していないわりには吹けてしまった。ただいずれにしても少しリハビリは必要であり、2週間後までにたくさんの宿題を出されてしまったのだった…。

そして今回のレッスン以降吹く曲は日本の歌になったのだった。また新しい曲集を用意することになったのだった。

なぜ日本の曲を練習していくことになったかと言うと、それは私が思っていたこととつながっているのだ。実は私は施設でフルートのボランティア演奏をしたいと思っていた。ただなかなか機会がないのと、そこまでの実力はないのでまだ無理だと思っていたのだ。ところが、同じ考えを持っている生徒さんが私だけでなく数人いること、一番古い生徒さんが実は先生とボランティア活動の場で知り合ったこともあり、「そのような考えがあるのだったら希望のある人は今年はぜひ施設で演奏してみたいね。」という話になっていったのだという。

生徒さんの中には既に施設演奏を経験した人がいるのだという。演奏して人気があるのはやはり何と言っても日本の曲だったそうだ。確かにそうかもしれない。私は昔ハイキングで「コカリナ」という笛を吹いたことがあるが、リクエストされたのは「もみじ」やら「春の小川」「夏の思い出」などなど日本の歌ばかりだったのを思い出した(例外として「エーデルワイス」はほぼ毎回リクエストされたが)。私はまだフルートでは日本の歌を吹いていないので少しずつレパートリーを増やしていくことになりそうだ。まだ具体的な話は出ていないものの、こんなに早く施設での演奏をする方向で話が動いていくとは思ってもいなかったのでびっくりした。最初に練習するのは「故郷」、日本の曲の中で一番大好きな曲だ。

どうやら今年はフルート、思わぬ道が開けていきそうな感じだ。

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ユキワリソウにやられたか?

最近ベランダを見ると、やたらにキンポウゲ科の植物が増えたことに気がついた。オダマキ、クリスマスローズ、エランティス、ユキワリソウ…。いずれも早春から春にきれいな花を咲かせる植物だ。

その中のほとんどが昨年から育て始めた株だ。無事夏越しできたものもあるが、秋に枯れてしまったものもあり、これから何年も育て続けられれば私も多少は園芸をしていると言うこともできるかと思う。

昨年思いっきりはまってしまったのがユキワリソウだ。最初の花に出会ったときの記事はこちら。その後次々と違う色の咲く株を購入し、気づいたら4株にもなっていた。夏越しに特別な配慮がいるなど、大雑把な私に育てられるのか…と一瞬考えたが、あまりにもかわいい花に完全にノックアウトされてしまい、ダメダメな私なりに育ててみた。

その結果…残念なことに最初に出会った株を秋に枯らしてしまったのだ…。すごく悔しい。

しかしそれ以外の株は見事に夏越しをし、いくつもの花芽をつけてくれた株まである。早ければ来月にはかわいい花に出会えると思うととてもうれしい。

私の家にいる株は全部一重咲きの標準花と言われるものだと思う。花色も単色で赤、白、ピンク。その後新たに紫と、薄いサーモンピンクの株を購入したが、これも単色の標準花。ユキワリソウには段咲きだのいろいろ珍しい咲き方をする花があるようだが、私はそういう派手なものに興味はない。そこまではまってしまったら私の場合はベランダがユキワリソウだらけになってしまうという心配もある。はまれば夢中になってしまうところがあるからだ。しかし、それよりも私自身がシンプルな咲き方をする花が好きなためだ。

今年は地元の園芸店で開かれるユキワリソウ展なんていうものにもちょっと行って見ようかな、などとふと思ったのだ。何も珍しい花を買いたいとかいうわけではない。写真ではなく実際にこんな花あるのか?というような実物を見てみたいと思ったのだ。野草の中では人気者のこの花にはまるその気持ちを実感してみたいなあと思うのだった。

家に既にユキワリソウは5株もある。これをまず大事に育てて、今度は全部無事に夏越しさせて花をつけさせたい。買うのは本当に「これいいな!」と思ったときくらいにしておこう…。

ユキワリソウは佐渡などで自生で見られる花らしい。私自身好きでこの花を育てて楽しんでいるが、いつかは自生のものがたくさん雑木林に咲いている姿をこの目で見たいのだ。本来は野草、自然の中に咲いているのが本当の姿だと思うから。それを実際に見られたらまた育て方も変わってくるような気もする。

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おもしろベランダ

ベランダで植物を育てると頻繁に掃除が必要になる。昨年あまりそれをしなかった私は夫からよく怒られた。昨年は猛暑の影響と私の怠慢で数株植物も枯らしてしまっている。

今年はベランダが広くなったからと言って植物を増やすなと夫からは釘を刺されている。確かに増やしすぎればあとが大変なので、昔からある植物に絞って育てていこうかと思っているうちユキワリソウ2株(←ばか)、タイム2株(←またか)を迎えてしまった…。小さな原種シクラメンも3株(←信じられん…)迎えてしまい、クリスマスローズ(ヘレボルス・ニゲル)も2株(←いい加減にしろ)いたり…全然反省してないな…。

ただベランダが広くなり掃除がしやすくなったのも事実。以前の家のベランダで育てている植物が多過ぎだったのだ。鉢で掃除がしにくかったなんてとんでもない話だ。水やりもいちいちじょうろを持って部屋へ行くため時間ばかりかかっていた。

枯れたもの以外は夫に呆れられつつそのまま持ってきたものの、新居はベランダに水道がついているため水やりもとても楽になった。今の家は日の出が拝める場所のため朝起きてから太陽に当たって作業をすると「うつ」っぽい気持ちが多少消えることもあり、一石二鳥だなと思う。駅から近いので家にいられる時間も以前よりだいぶ長くなった。同じ時間に起きているのに出来ることが思ったより多くなったのだ。

昨年購入した花たちの再生にも大成功。原種クロッカスなんて球根が倍増!もう葉が展開し、来月には咲くだろうといった状態。西洋セツブンソウも1株つぼみが!どうやら他にも生きている球根が鉢の中にあるもよう。スノードロップもたった1球生き残った。青いチューリップ(実際は青みがかった白花で、花の底の部分がブルーブラック)についてはどうやら球根が増えているみたいでしっかりした大きな芽が2つ…ただ花は無理だろうな。これじゃ鉢が増えたままじゃないか…。ミニバラも小さいのが5種類もいる…。

野草では実家から採集してきたサクラソウが生き残っているもよう。これはもう4年もの?年々株が増えている。ミヤコワスレも3種類頑張っている。スミレたちはあちこちに種がとび芽が出ている。花が咲かないとわからないほど種類がある。枯れたヒゴスミレなどブルーハイビスカスの鉢から出てきた。スミレは株が短命のようで、大事にしたければまめに種で更新しないとダメみたいだ。その中でも白花ノジスミレは丈夫で、純白の香りがいい花をたくさん咲かせる。ただ増える増える。実家ではあまりに美しいのと、ガーデニングをやっている人から人気が高いので増やして人にあげているようだが、それでも毎年おそろしい数の株があちこちの鉢から花を咲かせる。これは昔私がいたずら半分に100円で購入した株…。

最近はシンプルな原種系・野草系の花に染まり球根も宿根草もそんなのばかりである。

その中で趣が違うのが食物系。果樹数本とハーブ数種だ。果樹はレモン、ブルーベリー、ラズベリー。ハーブがイチゴ(ワイルドストロベリーと普通の)、ローズマリー、ミント、レモンバームだ。カモミールも発芽を見つけたので育てばラッキー。タイムは枯れたので新たに丈夫な苗をお迎えした。他にローレルの苗木1本。

ベリーガーデンは昨年は大失敗。イチゴだけは楽しめてジャムやケーキのクリーム、ペーストに化けておいしい思い出になった。今年はラズベリー、ブルーベリーの自家受粉をさせて実をつけさせ、自宅のベリーでお菓子が作れたらうれしい。ラズベリーには新しい芽が出てきた。ブルーベリーも今年は花芽がたくさん。剪定がもっとうまくなればもっとたくさん収穫できるのかもしれないが…。

ローレルやタイムはシチューなどに使うととてもおいしくなる。ベランダにちょっと出て自宅で育てたハーブでブーケガルニを作れたなんてうれしい(自己満足と言えば自己満足だが)。それが今年もしてみたくてまたタイムを買ってきたのだ。今年の苗はさすが園芸専門店の苗だけあって芽が多く丈夫そうな苗だ。

ローズマリーを使う料理も何度かしてみた。ミントティーは花粉症の時期ハーブティーとして何度か楽しんだ。レモンバームは夫が好きなハーブなので育てているが、昨年花を咲かせたとき種がずいぶんプランターにこぼれ増えたので、今年はお茶やお菓子に使えそうだ。

ハーブも使いながら苗を更新していく必要はあるのかもしれない。家にいる時間をもっと長くしてそういう作業を楽しむ余裕が持てる今年だといいのだが…。少なくとも週末の一日はそういう作業に当てる時間を作れるようにしようかな…。

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ユキワリソウの怒り

朝ベランダに出てみたところ、何やら「ちょっと、言いたいことがあるんだけど…。」と小さなつぶやきが。昨年市の植木センターから連れ帰り、そのままベランダで過ごし引越し時にいっしょに新居へやってきた植物たちの中のうち、ユキワリソウの一株からのつぶやきだった。ちなみにこの株はピンク色の花を昨年大量に咲かせ、今も比較的元気で芽のつきのよい株である。何やら私に変わって今日はブログで今までの恨みつらみを言いたいとの事だったので今日の記事の一つに載せる事にしたのだった…。

私が市の植木センターから連れてこられたのは確かまだ少し寒さが残る時期だったと思います。確か赤の花の株といっしょに連れて来られました。連れて来られた時には既に紫の花を咲かせる株がいました。すぐにビニールポットから駄温鉢へ植え替えられたのを覚えています。南側を向いたベランダで暖かくて、私はすぐに花を咲かせました。咲いた花を見てあなたは「かわいい!」と喜んでいましたね。

ほどなくあなたの家には白い花の株がやってきましたが、それは確か枯れかけたひどい株でしたね。枯れかけているからといってあなたはそれを植え替えはしませんでしたね。白以外の株はみんな山野草の土だったので、多少暑さの影響を免れたのは事実ですけど、白の株は相当ダメージを受けていた分、最初にきれいにしてあげるべきでしたよね。

5月になって日差しがきつくなりうそだろと思うほど暑い日が続いていましたが、あなたは私たちに対して日差しをさえぎる処置をしてくれませんでしたね。ゴールデンウィークもあなたはほとんど家にいたのに、私たちをちょっと日陰に移しただけでした。しかも、4ついた株に差別をしましたよね。紫の花の咲く株が斑入り葉で、斑入りの葉の株は少し性質が弱い事を知ったあなたは、あの株だけ特別に日差しの影響を受けない場所へ移しましたよね。

夏の間私たちは午前中だけは日差しもまともに受けきつかったです。おかげで葉やけしてしまい葉が枯れてしまいました。葉がない状態で夏を過ごすのは本当に地獄だったと赤の株が言ってました。しかもベランダはコンクリート、打ち水さえしてもらえませんでした。水をたくさんほしかった私たちですが、あなたは紫の株以外は毎日水やりをしてくれず、ひどい時には1週間近く水をくれませんでした。ビニールポットに入っていた白の株なんて暑くてひあがりそうと悲鳴をあげていたのにあなたは気がついてくれなかった…。私はもともと性質が強くて葉もたいして枯れずにすみましたが、あなたの知らないところで苦しんでいた株の気持ちがわかりますか?

そして秋になって紫の株が枯れてしまいました。あなたはがっかりしていたと思います。特別大事にしていたのですものね。暑さが秋まで長引いたから弱ってしまったのもあったと思いますが、唯一葉が枯れなかったからといって油断してたでしょう。そして、他の3つの株にはほとんど注意を払ってくれていなかったでしょう。

冬になってあなたは私以外の株は枯れたと思っていましたよね。白の株の根元に芽が3つもついていたの、あなたはいつ気づきましたか?葉がすっかり枯れて茶色くなった赤の株の根元に、たった一つだけ芽があったの、あなたはいつ気がつきましたか?引越しのちょっと前だったでしょう。遅いんですよ、気がつくのが。それまで私たちに水をやるのはよいときで3日に一度程度でしたね。あれじゃ足りません。せめて土が乾いたら水をください。

私たち3株は無事あのつらい条件で生き残りましたけど、もっと大事にしてください。今年芽をつける事ができた以上かわいい花はたくさん咲かせますよ。枯れてしまった株の分まで花しっかり咲かせますから。

ただ花の時期だけでなくそれ以外の時期ももっともっと手をかけてくださいね。あと、大事だからといってもあまりに過保護に育てたりしないでくださいね。それもかえってよくないんです。

そしてもう少し育て方も勉強してください。プロになれ!までは言いませんから、せっかく園芸書を持ってるんだからきちんと見たり、実際に育てている方のブログなど見て少しは見習って私たちを育ててください。私たちが自生している場所の特徴なんかもよく考えた上で出来る限りベストな育て方をしてください。

とても耳が痛いお話だった…ごめんなさい。

実はこのユキワリソウたちのために山野草鉢を用意してきた。新居のベランダは夏に日差し除けを作れる場所まである。今年はユキワリソウたちにできる限り快適な環境を用意してまともな夏越しをさせてあげようと反省した。しかし、鉢と一緒に仲間が2株…。昨年購入したのと同じような色の紫の花が咲く斑入りじゃない株、そして見たことのない薄いサーモンピンクの花が咲く、色素が全体的に薄めの株…。

また連れてきちゃったんですね。しょうがないですね、あなたは。今年は全部大事にして夏越しさせてくださいよ!そして来年は全部の花が芽をつけられるよう育ててくださいよ!

あ、それと種を採ろうなんて考えなくていいですよ。交配しようなんて思わなくていいですよ。私はともかく、特に芽が少ない赤や、色素の薄いピンクには株に力をつけられるようしっかり育ててあげてくださいね。

ユキワリソウはそんな私にぶつぶつつぶやきながら今年の花のための準備を始めたのだった…。

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おせち料理

本日5つ目の記事となってしまったのにびっくりな私。

おせち料理は元旦と3日に夫、私それぞれの実家で食べた。私の家ではおせち料理は作らない。昨年購入はしたものの私しか料理を食べなかった…。それゆえお正月はお雑煮のみ作るのだった。

でも、全くおせち料理が作れないわけではない。私が最初に作った、いや作らされた料理はおせち料理だったと言ってもいいくらいなのだ。

大学1年生の頃だった。12月中旬に冬休みに入ってから家事一つせず惰眠をむさぼるか教習所に通うかしかしていなかった私に母は一言。「あんた、いい加減にしなさい!今年はおせち料理の一つくらい作りなさい!!」

「何考えてんだ…。」と私は思った。「普段から料理なんぞしていない私がそんなもん作れるわけないだろうが。あ~めんどくせ~。」と言うと母は激怒!「12月30日から大晦日まで台所に立ちなさい!!私が教えるから!!!」

「まじかよ。」と思いつつイヤイヤながら台所へ。料理をたくさん作る分お皿やボウル、ザルなど洗い物がたくさん出るので「洗い物だけやってればいいや。」と思っていたのが甘かった…。「洗い物なんか出た時すればいいでしょ。あんたは包丁すらまともに使えないんだから今回きちんと使えるようにしなさい!」と母からカミナリ。結局野菜を切ったり味付けを習ったり…私はこの時までガスコンロの点火すらできず、包丁もまともに使えないといった困ったちゃん状態だった。しかし、母親のおかげかこの年の大晦日には包丁を持っても困らなくなり、ガスの点火も怖くも何ともなくなったのだ。

不思議なことにこの年からおせち料理を食べるのが平気になっていった。実は私はおせち料理が苦手だったのだ。普段の味付けとは違う料理に戸惑っていたと言うのもあったが、作り方を教わってから見方が変わったのかもしれない。

次の年も、その次の年も、またその次の年もおせち料理だけは母といっしょに作った。もうその時は野菜を切るのも煮物を作るのも面倒ではなくなっていたし、おせち料理を作るのが楽しみになった。大学4年生の頃にはおせち料理の作り方なんて本まで購入し、私オリジナルの味付けのおせち料理も並ぶようになった。

その後社会人になり急激に忙しくなったおかげで、年末全て台所に立つわけにはいかなくなったものの、やはりおせち料理を作る時だけは台所に顔を出していた私だった。お手伝いだったり、お手伝いと言う名目のつまみ食いだったり、ただの洗い物要員だったりその時々で立場は変わったが、おもしろいので顔を出していたというのが事実だったりする。

家を出て自分で料理を作るようになってから、おせち料理を教わっておいてよかったと思ったのだった。おせち料理を作ることで料理の基本的な事が多少わかるようになっていたからだと思う。独立した初日からいきなり自炊したものの、料理が作れなくてその後困るということはなかったような気がする。この点では母に感謝していたりする。

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あまり気にしてなかったけど

厄年というのがあり、今年30プラスαになる私は後厄を抜けた。もうしばらくは厄年は来ない(って言ったら年齢バレバレぢゃないか)。

厄年にも前厄、本厄、後厄というのがあるらしい。今までを振り返ると面白いことに私は厄年前後で体調を崩している。特にひどかったのは前回。3年間で2回手術を受け入院したり、思わぬ病気で仕事を短期に休んだり、健康面だけでは踏んだり蹴ったりの3年だった。今回も3年間を振り返ると病気で仕事を少し休んだり、毎年のようにインフルエンザやノロなどの感染症にかかったりだった。前回の厄年と今回の厄年の間が短いのもあるが、この数年は必要以上に体調を崩したり、心身に変調をきたしたりという事が多かった。

今年は何事もなく過ごしたいなあと思っている。しかし、私自身もそろそろ食生活を考えていかないといけない年齢に差し掛かってきた。厄年というのが確かに体の変わり目にあたる部分は大きいのだろうとは思う。でもそれは関係なしに健康に注意をしていかなくてはいけない時期になってきているのだ。

会社では人手が減らされ給料が減らされ仕事だけが厳しくなっている、そんな中で体調を崩す同僚や先輩の姿を数多く見てきた。でも仕事なんて代わりはいくらでもいるのだ、体を壊してまでやることではないし、そうなっても会社は守ってはくれないのだ。

自分を守れるのはあくまでも自分だけ。それを頭の中に叩き込んで生活していこうと思った私だった。

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お布団入れて!

引っ越して前の家より少し広くなったものの、広くなった分少し寒いなと感じる事が多くなった。火を使ったりしていないこともあるのだろうが…。

そんな中、引っ越してから夜電気を消して眠りにつこうとするとほぼ毎日のように私のところにごろにゃんがやってくる。横に来てじーっと大きな丸い目で私を見つめているので「何?」と聞くと布団の中に顔を突っ込もうとしている。

「布団に入りたいの?」と聞くと、そのまま私の布団に入ってきて私の脇のところでとぐろを巻いて喉を鳴らしている。そのまま時間が経過するとだんだんまっすぐになってきて、布団から顔だけ出して人間みたいに眠っているのだった…。いつも寝る場所は夫と私の間。だいたい2人と1匹で川の字になって寝ているのだからたいしたものだ。夫に踏まれても私に蹴られても熟睡しているときもあるのだからびっくりだ。

午前5時になると布団から出てくるごろにゃん、私の顔を舐めたり、前足を顔の上に置いたりしてえさをねだってくる。えさをあげると食べた後少ししてまた「布団に入れて!」とやってきて布団に入ってくる。私が起きてしまっていれば夫の布団に入って寝ているばかりか、あまり寒いと夫が起きても布団の中から出て来なかったりまで…。

ごろにゃん用に人間の一人用電気カーペットが置いてあるのだが、夜はやはり布団に入って人間と一緒に寝ないと気が済まないようである…。

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ごろにゃんの大災難

12月22日に転居した私、当然の事ながら飼い猫「ごろにゃん」もいっしょに連れて来た。しかし、この転居はごろにゃんにとって災難でしかなかったらしいのだ。

12月17日のこと。猫のトイレを掃除していた夫が、トイレに血便を見つけた。以前にも血便が出て獣医さんにかかったことはあったごろにゃんだが、その時とは血の量が少し多かった。翌18日朝ごろにゃんを見ていたが、えさを食べずじっとしたまま。様子がおかしいので午前中休んですぐ獣医さんに連れて行った。獣医さんに見てもらったところどうやら大腸炎を起こしているらしいということですぐ注射。何でこんな事になったのだろうと思いつつ状況を説明していたところ「多分、引越しで荷物をかたづけられたりして変化がおきてているのでストレスから来たものじゃないかと思いますよ。」とのこと。その日は午後からお留守番だったごろにゃん、やっと少し落ち着いてきた。

12月21日、引越し前日。自宅では食器等の梱包作業で人が入るのと、ガスの開栓等で夫は全日お休み、私は午後からお休みだった。しかし仕事場でトラブルがあり私は昼の間職場に残らなければならず午後途中からお休みに。帰り際夫から電話があり「早く帰ってきてくれ!ごろにゃんが大変だ。」とのこと。慌てて帰るとそこには毛を逆立て目を三角にしたごろにゃんの姿が…。近づくと私に向かって「ウー」「シャー」「フー」…。

夫の話では、私が帰ってこられない間に新居のガスの開栓立会いにいくため少し家を留守にしたと言う。作業員さんが2人来ていたためごろにゃんは別部屋に閉じ込められたまま留守番…。戻ってきた夫がごろにゃんにえさを食べさせたところ吐きまくったためつかまえようとしたところいきなり「シャーッ」と威嚇されたとの事。

一匹で置いていかれた事がそうとうこたえてしまったようだ。その日は近づいても「シャー」「フー」が止まらないまま夕方を迎えてしまった…。この状況では明日の引越し当日は猫の監視役がいないとまずい…そう思ったので猫好きな実家の母に猫のおもりを依頼した。

22日当日は作業員さんたちの作業が早く、一つの部屋から1時間もしないうちに荷物が全部出た。猫トイレと猫の水入れ、えさ入れを荷物が一番最初に出た部屋へ移し、母と私とでごろにゃんの世話。荷物が多かったのにもかかわらず3時間半で荷物の積み込みが終了した。そのまま荷物は新居へ、私も荷物の運び込みの関係で新居へ。母とごろにゃんが旧居に残った。ごろにゃんは見知った人間がいっしょにいたおかげで荒れたりはせずおとなしく過ごしていたそうだが、えさは全然食べなかった…。

新居への荷物の移動が終わったのは午後2時過ぎだった。その後旧居へ私が戻ったものの、猫のグッズを全部いっぺんに移動するのは無理だった。「助けがいるなら呼んでくれればいつでもいいよ。」と言って電話をくれた弟夫婦にSOS。弟夫婦に猫を保護するケージを借りてごろにゃんを詰め、猫グッズを全部積んで新居へ移動したのが午後3時頃だった。

新居に着きごろにゃんは呆然としていた。しかししばらくすると部屋の中をおっかなびっくり歩き始めた。自分のにおいのするものはたくさんあるものの、やはり不安なのか一つ一つの場所を確かめて歩いていた。近づくと驚いて物陰に逃げてしまう、荷物の多い北側の部屋に隠れてしまう、という状況だった。

少しすると猫用のベッドが居間に用意してあるのに気がつき、そこに座ったものの私が顔を見て話しかけると「シャー」…。えさも食べず水も飲まずトイレも行かず…。

翌日の23日も何だか物陰に隠れてばかりいたごろにゃんであったが、24日になるといきなり悪さが炸裂した。新しい家の壁で爪とぎを始めたのだ。怒ると逃げる、明らかにわかっていてやっているあたりはもう元の悪猫に戻った証拠。そして日に日に悪猫ぶりはすごくなっていった…。そしてごはんもよく食べるようになり、水も飲み、トイレに行くようにもなっていったのだ。さらには私たち夫婦が年末のお休みに入ったあたりからはおなかを出して寝るごろにゃんの姿が見られるようになっていった。

ごろにゃんが今もまだ新居に慣れているかと言えばそれは違うと思う。しかし広さや家は違えどいっしょに来た物もたくさんあり、いっしょにいた人間は変わっていない、それだけはごろにゃんなりに理解できたようである。引越し作業が始まった頃から少しずつ様子がおかしくなってはいたごろにゃんだが、ここまでストレスを感じていたとは思わなかった。小さな頃捨てられた記憶でも思い出していたのだとしたらちょっとかわいそうな事をしたかな?とは思う。

理解は出来なくてもいいのでこれだけはごろにゃんに伝えようと「このままずっといっしょにいるからね。」と最近は毎日ごろにゃんに話しかけている私だった。

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ブログ初め

新年になりました。今年もよろしくお願いします。

しかし…6連休が過ぎるのはあっという間、明日はもう仕事始め。1日行けばまた2連休とは言え…かったるいなあとサボリ魔の私は思ってしまう。

引越しをしてもう二週間近くになるものの、もともとおかたづけが大の苦手な私、まだ居間にも段ボール箱が4つも…。とりあえず台所用品が全部出揃ったのは何と昨日というありさま。元旦になって初めて自宅で煮炊きするという生活になってしまったのだ…。

しかも、私の部屋はまだ開けてない荷物がいっぱい。全部捨ててくればいいものを間に合わないのをいいことに持ってきてしまったものの方が多く…えらいこっちゃという状況である。大量の本だけは本棚に整理できたものの、洋服だカバンだをクローゼットに入れるのもしていなかったり…。当面使う服は全部出てきているので問題はないのだが。

さて、段ボール箱が半年以上も開かないままになどしないよう少しずつ整理していかなくては…。

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