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本日は

終戦記念日である。あまりこの手の話題は書いたことがないのだが、今日はちょっといつものお気楽系とはちと違ったものを書いてみることにした。

私の父母は戦時中に生まれてきた。

東京生まれの父は戦火を逃れるために家族全員(実際は一族全員らしいが)で東京の下町から埼玉へ移ってきたという。川を挟んで反対側の埼玉南部では、空襲警報が鳴る事はあって防空壕に入ってもめったに戦闘機は飛んでくることはなく、空襲も記憶の限りではなかったという。下町から移ってきた時期が少しだけ早かったので自分は命拾いしたのだ、と父は話していた。

同じく東京生まれの母は戦火を逃れるため新潟の知人宅に疎開していた。日本橋に家があったようだが空襲で焼けてしまったそうだ。母の家族は戦争が終わる少し前に埼玉へ移ってきたのだという。関東に残っていた祖父(母の父)もわずかの時期の差で東京大空襲にはあわなかったそうだ。

父母からは戦時中の生活についてほんの少しだが話を聞いたことがあった。戦時中は一桁の年齢だったはずの父母の中にも戦争の記憶があるそうだ。戦時中の生活までも記憶の中にしっかりとあるという。60年以上経つのにいまだに戦闘機が飛んでくる音なども小さな記憶の中にしっかりと刻み込まれているのだそうだ。

その中でも母から聞いた話が私の耳にまだ残っている。

母が疎開した新潟の知人宅、実は母の生家のお手伝いさんの家だったと言う。新潟に帰って農家に嫁いだ女中さんが東京の現状を知り、危ないからこっちへ来た方がよいと声をかけてくれたために疎開したのだという。その疎開先で母はかつてのお手伝いさんからこう言われたのを覚えていると話していた。「近所の人から『どんなものを食べているの?』と聞かれても絶対に、何があっても「白いまんまを食べている。』と言っちゃダメだよ。『みんなと同じように粟などを食べている』と言わなければいけないよ。」と・・・。

すごい話である。

そんな体験を通して、その後も祖母や母とお手伝いさんの彼女とはずっと交流を続けていた。だいぶたって私も祖母や母、弟などといっしょに新潟まで行き、会うことができた。その中で祖母や母、そしておばさんから聞いた話の数々・・・私の経験したことのない話、びっくりするような話もたくさんあった。さらにその後彼女の家族と私との間でも手紙のやりとりなどが続いた。

今年の春に彼女は亡くなってしまった。祖母ももうこの世を去って10年になる。現在元気で暮らしている父母も高齢者と言われる年齢に突入してしまった。

戦時中の記憶を持つ人が少なくなっていく中で、戦時中の記憶は確実に私たちから遠ざかっていっているのだ。いくら記憶を語り継いでいくと言っても、経験のない人間が語り継いでいくのには限界があると私は思っている。しかし、記憶が遠ざかっていくからと言って忘れてはならない歴史であるのも事実。その記憶を持つ人たちから、忘れてはならないことをしっかり聞いて、見て、残していかなければいけないだろうな、と思っていたりする今日この頃だったりする。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは☆

年配の人と話をすると、さっき話したことは忘れてしまっても、
戦時中の話などは、ほんとに昨日の事のように鮮明に覚えて
いるのでビックリすることがあります。
それだけ強烈な体験だったということですよね。。。

「戦争のことは直接は知らないから」とか「昔のことだから」といって
素通りしてはいけないことだと思います。


投稿: るーさん | 2007年8月16日 (木) 23時58分

私の祖父は傷痍軍人で亡くなるまで散弾の破片が身体に入ったままでした。
私が学生の頃になくなりましたが、今年すっごく久しぶりに墓参りに行ってきました!

祖母は大正生まれの91歳。今考えればナント第1次世界大戦中・・・その後青春時代のほとんどが戦時下だったはず・・・

平和な時代に生まれたことに感謝!

投稿: piccolo | 2007年8月17日 (金) 06時23分

シビアな話ですね。
ご両親、私とあまり変らない年代のようですね。
ちなみに私は20年生まれです。
私の親は10代で私を生み育て、父親は志願兵として特攻隊の訓練を受けていたそうです。
私もたくさんの戦争の話を聞かされました。
嫌な記憶ばかりですが、そういう体験談も聞けなくなりつつありますね。

投稿: | 2007年8月17日 (金) 07時11分

♪るーさん、こんばんは。
会社に入って最初の頃、ご年配の方を相手に仕事をしていました。その中でよく話題にのぼっていたのが戦時中の話。シベリア抑留の話にぞっとしたり、日本人にも従軍慰安婦がいた(当のご本人でした)話を聞いてびっくりしたり、特攻隊で飛行機に乗ったはいいが故障で飛べなくて命拾いした話や、終戦後帰国したら家族がみんな亡くなっていて天涯孤独になってしまったという話、他にも「…。」と絶句してしまう話がたくさんでした。
「思い出したくない記憶だし話をするのはつらいけど、どこかで伝えていかなくちゃいけないことだと思ったから話をしたんだ。これからの人にはもう二度とあんな思いを味わってほしくないんだよ。」と言っていたおじいさんの言葉を忘れることができません。

♪piccoloさん、こんばんは。
傷痍軍人という言葉がありますね。軍隊に行って帰ってきた人の話は聞いていておそろしいものがありました。青春時代がほとんど戦時下といった人の割合もだんだん減ってきているんですよね…。
平和な時代に生まれたことを感謝、確かにそのとおりですが、この後の時代にもそれが続いてほしいものだと願うばかりです。

♪森さん、こんばんは。
私の両親は16年生まれです。幼児期が戦時中だったということかと思いますが、千時時中の生活も戦後の混乱もしっかり子供ながらに覚えていたようです。
積極的に戦時中の話をするわけではありませんでしたが、二人とも終戦記念日となると必ず子供の私たちに戦争中の体験を話していたように思います。
まだ私が小学生くらいのある日、飛行機が飛ぶ音を聞いた両親が「いくつになってもこの音を聞くと戦闘機が飛んでくる音を思い出して嫌だねえ。」と言ったのを聞き驚いたのを覚えています。私にとっては遠くに行ける不思議な乗り物であり、いつか乗ってみたいとあこがれていた飛行機の音が両親にはそう聞こえていたのかと…。
そんな話が聞けなくなってしまうのも時間の問題でしょうが、風化させてはいけないことのように子供ながらに思いました。

投稿: タピアン | 2007年8月18日 (土) 23時13分

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