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いつも伴奏者だったな・・・

フルートを始めてから伴奏者の方のお世話になることが多くなった。今年も昨年お世話になったピアノの先生が「子守唄」の伴奏をしてくれるそうだ。

ところが、かく言う私はフルートを習い始めるまでほとんど伴奏者の立場だったのを思い出した。

小学校の器楽の発表会でも「リコーダー吹きたい。」と言ったのに、先生から渡された楽譜はピアノの伴奏譜・・・。ピアノを弾きたがった子は結構いたため、おもしろくないと思っていたようだ。好きで伴奏をやっていたわけではないのだが、小学生の頃はそのあたりを周囲に理解してもらえなかったのだ。

中学校の合唱コンクールでも、気がつくと勝手に伴奏者にされてしまっていた。中学1年のクラスでは小学生の頃のようにいろいろ言われたりもしたが、中学2年のクラスメイトはそのあたりがいい加減で「ピアノ弾ける人がいるんだからそいつが伴奏すればいいじゃん。」といった感じだったため、学級会で人の意見も聞かず「伴奏者はタピアンね~。」となってしまっていた。「やだ~!歌わせろ~!」と叫んでも1人対39人で否決。多数決を悪用したひどいクラスだ。

中学三年の合唱コンクールで私たちがいたクラスが選んだ自由曲は「大地賛頌」だった。合唱コンクールに対してやる気のなかったクラスメイトも「この曲なら歌う」となぜか乗り気だった。私も最初聞いたときにこの曲を歌いたいと思っていた。今回はめずらしく自分から伴奏を弾きたいと言う子が2名いたため、2名のうち1名が伴奏になるということで私はアルトを歌えることになった。学年課題曲は既に伴奏者ではなかったので、初めて合唱コンクールで歌を歌える、それがすごくうれしかった。

私のいたそのクラスは「まとまりがなくできが悪いクラス」で、放課後の合唱コンクールの練習も熱心にはやらないはず、だった。2年・3年と持ち上がり、2年のときはほとんど練習すらしなかったので3年になっても同じだろうと思っていたら、なぜか誰からともなく残って練習するようになり、毎日「大地賛頌」を歌っていた。ほぼ全員が帰り道に同じ方向に帰る子と歌っていたくらいだから、相当入れ込んでいたのだろう。

ところが、練習が進むにつれてアルトパートを希望する人数がソプラノの倍になってしまった。ソプラノが高くて出ないという。ついにソプラノパートが5人になってしまったため、先生が驚き、比較的高い声が出る私ともう一人の友人がソプラノへまわることになってしまったのだった。

そしてさらに練習が進んだ頃、伴奏を弾く予定だったクラスメイトから「伴奏を変わってほしいんだ・・・。」と頼まれた。中間部分の伴奏、ピアノだけの間奏になるところがどうしてもうまく弾けず悩んでいたらしい。練習のとき中間部分の伴奏を弾くのを嫌がり、弾けないと皆の前で泣いてしまった彼女を見ているうち「伴奏やだも~ん。歌いたいも~ん。」と言うこともできなかった。少し編曲をして簡単にした間奏でやってみたらどうかと話し、間奏部分を変えた楽譜を作ったのだが、彼女も含め友人、クラスメイトたちから「この曲はできるならタピアンが弾いた方がいいと思うよ。」と言われ結局伴奏者になってしまった。でも歌えなくて悔しかったので予選の時だけは伴奏しながらソプラノを歌った。予選を突破し本番では上位に食い込んだ合唱コンクール、「落ちこぼれ脱出だあ!」とクラスメイトはとても喜んでいたが、いっしょに歌えなかった私は何だか複雑な思いだった。うれしいことはうれしいのだがみんなの一体感とは何かはずれたところにいるような感じがしていた。中学の同窓会があって合唱コンクールの話題が出たときこの話をしたら「え~!?お前そんな風に思ってたの??」と言われた・・・。

高校でも合唱部に所属したものの、半分は伴奏をしなければならなかったのであまりしっかり歌を歌ったという覚えがない。もう一人いた伴奏者とは「この曲私歌いたい!」「え~、私が歌うんだ!」といつもケンカしており、ついには毎回じゃんけんをし、負けた方が一曲ずつ伴奏を弾くというきまりになってしまったのだった。おかげで舞台に立つと伴奏者が一曲ずつ変わるのは当たり前となり「どういう合唱部だ・・・。」と先生や友人から大笑いされていた。

社会人になってから入った合唱団でも気がついたら伴奏者だった。この合唱団ではアカペラの曲以外ほとんど歌った記憶すらない。後で知ったのだが、実は伴奏者が設立当初から一人もいない合唱団だったという。伴奏のできる人が来たことでいろいろな曲を歌えてよかったと言われ、「ありゃ、だまされた・・・。」と思った。

何年も伴奏を弾いてきた私だが、いつも伴奏は難しいと思っていた。目立ちすぎたら歌やメロディを殺してしまう。かと言って全くめりはりのない伴奏をしたりすれば、合わせた相手のペースを狂わせたりしてしまう。あくまでも伴奏が主賓となってはいけないが、場合によっては伴奏でひっぱらないといけない時もある(あまりやってはいけないと思うが)。

前回の発表会では伴奏者のペースを乱してしまうほど突っ走って吹いてしまった。今年は伴奏の先生に迷惑をかけないような演奏をしたいものだと思う。

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コメント

♪人の子らー(人の子らー)人の子ら 土に感謝~せよー ボクも音楽の授業で歌いましたよ。
これ、〝混声4部合唱〟っていうんでしたっけ?
男子も2パートに分かれる曲ってなかなかなくて、楽しかったです。

ボクらの中学校の合唱コンクールで人気だったのは『あの素晴らしい愛をもう一度』でした。
タピアンさん、社会人で合唱部に入るなんてすごい!

投稿: エンジェル | 2007年8月27日 (月) 23時44分

エンジェルさん、こんばんは。
そう、あの曲は混声四部だったと思います。男子も2パートに分かれるんですよね。普段は合唱なんて…とバカにしていたはずの男子までもがかなり頑張って歌っていてびっくり。何だか知りませんがこの曲の時は本当に毎日みんなでよく練習しました。
余計な話ですが、生徒代表の投票でほぼ全員一致で全校一位!大喜びだったのが、先生の投票でひっくり返ってしまい歌ったメンバーと指揮者は激怒!「何でだよ!」と担任につかみかかる同級生までいたそうですが、私はインフルエンザ発症で頭がぼーっとしており一人へらへらしていたらしいのです(実はその後倒れて記憶にない)。後になって「あ~そんなにみんなで怒るほど頑張ってたんだな。」と…実はちょっぴり苦い思い出なのです。

「あの素晴らしい愛をもう一度」も確かに人気曲でした。必ずどこかしらのクラスが歌っていました。

社会人の合唱部といっても本当に趣味の合唱団で、団員10名程度の小さなところでした。二年くらい所属し、そのうち一年半くらい伴奏者をつとめました。

投稿: タピアン | 2007年8月28日 (火) 19時32分

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