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2007年8月

いつも伴奏者だったな・・・

フルートを始めてから伴奏者の方のお世話になることが多くなった。今年も昨年お世話になったピアノの先生が「子守唄」の伴奏をしてくれるそうだ。

ところが、かく言う私はフルートを習い始めるまでほとんど伴奏者の立場だったのを思い出した。

小学校の器楽の発表会でも「リコーダー吹きたい。」と言ったのに、先生から渡された楽譜はピアノの伴奏譜・・・。ピアノを弾きたがった子は結構いたため、おもしろくないと思っていたようだ。好きで伴奏をやっていたわけではないのだが、小学生の頃はそのあたりを周囲に理解してもらえなかったのだ。

中学校の合唱コンクールでも、気がつくと勝手に伴奏者にされてしまっていた。中学1年のクラスでは小学生の頃のようにいろいろ言われたりもしたが、中学2年のクラスメイトはそのあたりがいい加減で「ピアノ弾ける人がいるんだからそいつが伴奏すればいいじゃん。」といった感じだったため、学級会で人の意見も聞かず「伴奏者はタピアンね~。」となってしまっていた。「やだ~!歌わせろ~!」と叫んでも1人対39人で否決。多数決を悪用したひどいクラスだ。

中学三年の合唱コンクールで私たちがいたクラスが選んだ自由曲は「大地賛頌」だった。合唱コンクールに対してやる気のなかったクラスメイトも「この曲なら歌う」となぜか乗り気だった。私も最初聞いたときにこの曲を歌いたいと思っていた。今回はめずらしく自分から伴奏を弾きたいと言う子が2名いたため、2名のうち1名が伴奏になるということで私はアルトを歌えることになった。学年課題曲は既に伴奏者ではなかったので、初めて合唱コンクールで歌を歌える、それがすごくうれしかった。

私のいたそのクラスは「まとまりがなくできが悪いクラス」で、放課後の合唱コンクールの練習も熱心にはやらないはず、だった。2年・3年と持ち上がり、2年のときはほとんど練習すらしなかったので3年になっても同じだろうと思っていたら、なぜか誰からともなく残って練習するようになり、毎日「大地賛頌」を歌っていた。ほぼ全員が帰り道に同じ方向に帰る子と歌っていたくらいだから、相当入れ込んでいたのだろう。

ところが、練習が進むにつれてアルトパートを希望する人数がソプラノの倍になってしまった。ソプラノが高くて出ないという。ついにソプラノパートが5人になってしまったため、先生が驚き、比較的高い声が出る私ともう一人の友人がソプラノへまわることになってしまったのだった。

そしてさらに練習が進んだ頃、伴奏を弾く予定だったクラスメイトから「伴奏を変わってほしいんだ・・・。」と頼まれた。中間部分の伴奏、ピアノだけの間奏になるところがどうしてもうまく弾けず悩んでいたらしい。練習のとき中間部分の伴奏を弾くのを嫌がり、弾けないと皆の前で泣いてしまった彼女を見ているうち「伴奏やだも~ん。歌いたいも~ん。」と言うこともできなかった。少し編曲をして簡単にした間奏でやってみたらどうかと話し、間奏部分を変えた楽譜を作ったのだが、彼女も含め友人、クラスメイトたちから「この曲はできるならタピアンが弾いた方がいいと思うよ。」と言われ結局伴奏者になってしまった。でも歌えなくて悔しかったので予選の時だけは伴奏しながらソプラノを歌った。予選を突破し本番では上位に食い込んだ合唱コンクール、「落ちこぼれ脱出だあ!」とクラスメイトはとても喜んでいたが、いっしょに歌えなかった私は何だか複雑な思いだった。うれしいことはうれしいのだがみんなの一体感とは何かはずれたところにいるような感じがしていた。中学の同窓会があって合唱コンクールの話題が出たときこの話をしたら「え~!?お前そんな風に思ってたの??」と言われた・・・。

高校でも合唱部に所属したものの、半分は伴奏をしなければならなかったのであまりしっかり歌を歌ったという覚えがない。もう一人いた伴奏者とは「この曲私歌いたい!」「え~、私が歌うんだ!」といつもケンカしており、ついには毎回じゃんけんをし、負けた方が一曲ずつ伴奏を弾くというきまりになってしまったのだった。おかげで舞台に立つと伴奏者が一曲ずつ変わるのは当たり前となり「どういう合唱部だ・・・。」と先生や友人から大笑いされていた。

社会人になってから入った合唱団でも気がついたら伴奏者だった。この合唱団ではアカペラの曲以外ほとんど歌った記憶すらない。後で知ったのだが、実は伴奏者が設立当初から一人もいない合唱団だったという。伴奏のできる人が来たことでいろいろな曲を歌えてよかったと言われ、「ありゃ、だまされた・・・。」と思った。

何年も伴奏を弾いてきた私だが、いつも伴奏は難しいと思っていた。目立ちすぎたら歌やメロディを殺してしまう。かと言って全くめりはりのない伴奏をしたりすれば、合わせた相手のペースを狂わせたりしてしまう。あくまでも伴奏が主賓となってはいけないが、場合によっては伴奏でひっぱらないといけない時もある(あまりやってはいけないと思うが)。

前回の発表会では伴奏者のペースを乱してしまうほど突っ走って吹いてしまった。今年は伴奏の先生に迷惑をかけないような演奏をしたいものだと思う。

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お風呂での楽しみ

年齢が結構いっている私だが、元来めんどくさがりのため現在はほとんど化粧すらしていない。若い頃の方がきちんと化粧をしており、たくさんの化粧品を持っていたはずである。しかし、当時から同僚には「化粧してないよね?」などと言われるくらい化粧が薄かったせいか、ファンデーションやパウダーはなぜかあまり減らず、使用期限で使い切れたためしがなかった。

若い頃はつけていたマスカラなども今はほとんどしなくなってしまい、眉ももともと濃く太いため補正はほとんど不要となり、血色が極端に悪いこともないためチークもつけず・・・。若い頃青紫だった唇も、最近はそんな色でなくなったこともあり気がついたら口紅もしなくなっていた。これで現在会社に行き、あげくに接客しているのだからよく考えると恐ろしい話だ。デパートや銀行などだったら間違いなく怒られるだろう。

そんな私でも、大学に通っていた頃から顔の脂っぽさが気になるようになり、洗顔フォームを使用し、化粧水、乳液をつけるようにはなった。当時近くのスーパーで入手しやすかったビオレの洗顔フォームとヘチマコロンの化粧水・乳液を使っていたように記憶している。

社会人になってから化粧品店で勧められてサンプルを使ってみたが、香りや重さがどうしても自分には合わなかった。そしてその後もしばらくビオレとヘチマコロンにはお世話になることになった。

ずいぶんたってからせっけんを使う化粧品(シャボン玉せっけんや太陽油脂)や天然ものの化粧水などの存在を知り、ちょこちょこと試していた。最初はどんなものかと思っていたが、私には合っているようだった。

一人暮らしを始めたのを機に体に使うものを切り替えてみた。ここ数年化粧水はへちま水と弱酸性の植物性化粧水、乳液はねんどのミルクローション、クリームはせっけん会社が作ったもの、洗顔料もせっけんである。洗髪の際もせっけんシャンプー、クエン酸リンスへ切り替えたのだった。結果的には良好でトラブルはない。調子に乗って洗濯もせっけんでするようになり、食器洗いもトイレやお風呂洗いまでもせっけんや重曹、クエン酸に切り替えてしまった。当初はこれで本当に大丈夫かなと思っていたが、6年近く経った現在普段の生活に何の支障もない。

そんなせっけん主体の生活の中でゆっくりできる週末のお風呂の時に少しだけぜいたくをしてみることにした。値段はそれなりにするが、シャンプー、リンス、全身洗浄料、パックに天然材料使用のものを使ってみることにした。あくまでも週末だけの使用に限定なのがミソ。オーブリー・オーガニクスというブランドのもので、どれも使用するとハーブの香りなどがして使っていて気持ちがいい。のんびりリラックスしたいときに使うと、お風呂にゆっくり入れるばかりか眠りもよくなるようだ。金曜日の夜などは気持ちよく眠れるし、土曜日など朝お風呂に入ってのんびりと使うと一日気持ちよく過ごせるのだ。

ところがこれを明日から仕事だという日曜日の夜に使うと、普段感じる「明日から仕事だ、やだなあ・・・。」という気分をいくらか軽減できるようだと気がついた。今日初めてやってみたのだが、お風呂から上がった後憂鬱感が少ないのにびっくりした。どうやら日曜日や連休明けに使うのも別の意味でよい効果がありそうだ。しばらくの間これを続けてみようかと思っている。

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四重奏もやるのだ

土曜日に8月2回目のフルートがあった。泣いても笑っても発表会まであと2回のレッスンを残すのみとなった。他に伴奏者との合わせが一度あるくらいだ。

発表会で吹く子守唄は、前半部分では信じられないほどやわらかい音が出るようになり私自身もびっくりするくらいだ。ところが後半に入る手前の高音を出す際に相当力が入っているようで、後半の音が前半とは全く違う音質に変わってしまうのだった。何だか音がきつい。これにはさすがの私も閉口した。苦手なところもたくさんあるので取り出し練習をちょこちょこしてはいたが、今回の場合は取り出し練習より曲全体を最後まで吹き通す練習がかなり重要だと先生から言われてしまったのだった・・・。ううう。

そして発表会では、先生の生徒さん全員で2曲の簡単な四重奏を吹くという。私は当初これには参加しないと言っていたのだが、人数の関係でそうも言ってられなくなってしまいこちらにも参加することになった。「オーラ・リー」と「ふるさと」。先生から割り当てられたパート譜をもらってみると「オーラ・リー」が4th、「ふるさと」が3rd。

「え?どうせならどっちも4th吹きたかったんだけど・・・。」と言うと、先生は苦笑い。先生によると、生徒さんに希望するパートを選ばせたらおそらく4thを取る人はいないだろうと思っていたと言う。メロディもなければほとんど低音部分のロングトーンか拍子打ち、だいたいはこのパートを避ける傾向にあると言う。もしその中で最初から4thを吹くと言うなら私だろうと先生は思っていたらしい。技術的な問題やレッスン出席状況から「ふるさと」だけはどうしても4thというわけにはいかないらしいので、今回は割り当てられたパートでいくこととなった。

四重奏をやってみると、下の方のパートを吹く場合合わせたときが感動なのだ。何せパート譜だけではどんな曲を吹くのか想像もつかないことがあるのだが、上に3rd、2nd、1stとパートが乗っかってくると、響きを楽しめるのは下のパートの醍醐味。合唱の際も私はソプラノ・アルト両方の音域をカバーできたのでいつも人数の少ない方にシフトしていたが、アルトを歌っているときの方が楽しかった。そんな話を先生に話すと「実はあまりそういう人はいないんですよね・・・アンサンブルなどをやると重宝されると思いますよ。」とのこと。

今回の場合生徒さんの中で低音を得意としているのが私だけという状況らしい。私のように高音が出なくて低音が出るということ自体どうやらめずらしいようだ。実際高音となるとGを過ぎたあたりから悲鳴を上げている状況で音をあまり鳴らせないのだが、低音はしっかり楽器が鳴ってくれる。最低音のCについては出せない生徒さんが多い中で私は比較的最初の頃から音が出ていた。

四重奏も最初は面倒だなとか思っていたが、初見で吹ける程度の曲なので練習自体にめちゃくちゃ力を入れる必要もなさそうだ。今後どこかで一度同じ曜日のレッスンの人どうしで合わせる機会があるらしい。ちょっと楽しみだったりする。

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うそお?

我が家の猫「ごろにゃん」は減量経験がある猫だ。

一時期6キロもの体重を記録し、動くのもボテボテになってしまい、一年以上かけて体重を4.5キロまで落とすことに成功したのだった。

ところが、最近になってごろにゃんの体重は5キロとなってしまったのだ・・・。

ごはんを食べる量は全く増えておらず、えさの種類も変えていない。なぜかと思ってよく考えると、この夏の暑さで動きが少し鈍くなっており、涼しいところでのんびり伸び切って過ごしていることが多いのだ。動き回らない分同じ量食べてれば体重は増えて当たり前である。

しかし、前にも5キロの体重を記録した事はある。その時とは全く状況が違うとふと思ったのだった。以前に5キロの体重を記録したときは、高いところにジャンプできずに落ちてしまうこともしばしば。歩くのも猫らしくなくドスドス歩いていた。さらに運動を嫌がり遊びもしたがらない。ただの運動大嫌いの丸い猫だったのだ。体型もナスみたいで、座る姿を見ると前足を開いているし、お世辞にも猫らしい格好とは言えなかったのだ。

今回は5キロの体重で高いところにも平然とジャンプし、落ちてくることはまずない。歩く姿もドスドスはしておらず、4.5キロのときと変わらない状態。遊び道具を用意していると息が切れるまで飛んだり走ったりである。体型もナスにはなっておらず、きちんとおなかがくびれている。前足を開いて座るようなこともなく、500gも体重が増えたとは思えないほどである。

体を触ってみると何だかがっしりしてきたような気がした。減量したときどんどん体が動かせるようになったことで、ごろにゃんは運動をするようになった。小さい頃よくカーテンレールに登って遊んでいたが、太ってからは全く登ろうとしなかった。それが減量してからまた登るようになり、高い所へ登るのを恐怖としなくなったのだ。上下運動が得意になったと同時に、平地での瞬発力が目に見えて上がってきた。さらにその頃から体型が変わり、丸かったおなかのあたりが締まってきた。そして前足、後ろ足の付け根が太くなり、足ががっしり大きくなってきた。今は運動に使う部分にびっくりするほど筋肉がついているようだ。

筋肉がついてしまった→もう簡単にはやせないぞ・・・と思った私だった。おそらく寒くなるとエネルギー代謝が変わるのでごろにゃんも少し体重は落ちてくるだろう。最終的には4.5キロくらいになるだろうとは思っているのだが・・・。

それにしても、だ。保護したとき診てくれた獣医さんはごろにゃんは「メス猫だし、この毛色の系統の子はそんなに大きくはならないはずです。」と言っていた。しかし、ごろにゃんを見ると近所の猫より明らかに体長、体高ともに大きい。当然のことながらメス猫の中では特大級である。オス猫と比べてもかなり大きいばかりか、近所のボスと呼ばれる猫とも大きさではひけをとらないではないか!これにはさすがの私もびっくりした。

獣医さんに行っても、ごろにゃんより大きな猫を見たのは1回しかない。2年位前のことでそれはいずれもオス猫だった。2匹いて、兄弟だということだったがどちらも特別大きな猫だなあと思った。飼い主さんも獣医さんも「こんなに大きくなるとは思わなかった・・・。」と話していた。でかいと言われるごろにゃんよりさらに一回り大きかった・・・。でもそんな猫はその後見たことがない。しかも2年前はごろにゃんは丸かったもののもう少し小さかった。

家で飼われている猫は確かに皆大きめの猫が多いものの、ごろにゃんがなぜこんなに大きく育ってしまったのかと不思議だったりする。

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本日は

終戦記念日である。あまりこの手の話題は書いたことがないのだが、今日はちょっといつものお気楽系とはちと違ったものを書いてみることにした。

私の父母は戦時中に生まれてきた。

東京生まれの父は戦火を逃れるために家族全員(実際は一族全員らしいが)で東京の下町から埼玉へ移ってきたという。川を挟んで反対側の埼玉南部では、空襲警報が鳴る事はあって防空壕に入ってもめったに戦闘機は飛んでくることはなく、空襲も記憶の限りではなかったという。下町から移ってきた時期が少しだけ早かったので自分は命拾いしたのだ、と父は話していた。

同じく東京生まれの母は戦火を逃れるため新潟の知人宅に疎開していた。日本橋に家があったようだが空襲で焼けてしまったそうだ。母の家族は戦争が終わる少し前に埼玉へ移ってきたのだという。関東に残っていた祖父(母の父)もわずかの時期の差で東京大空襲にはあわなかったそうだ。

父母からは戦時中の生活についてほんの少しだが話を聞いたことがあった。戦時中は一桁の年齢だったはずの父母の中にも戦争の記憶があるそうだ。戦時中の生活までも記憶の中にしっかりとあるという。60年以上経つのにいまだに戦闘機が飛んでくる音なども小さな記憶の中にしっかりと刻み込まれているのだそうだ。

その中でも母から聞いた話が私の耳にまだ残っている。

母が疎開した新潟の知人宅、実は母の生家のお手伝いさんの家だったと言う。新潟に帰って農家に嫁いだ女中さんが東京の現状を知り、危ないからこっちへ来た方がよいと声をかけてくれたために疎開したのだという。その疎開先で母はかつてのお手伝いさんからこう言われたのを覚えていると話していた。「近所の人から『どんなものを食べているの?』と聞かれても絶対に、何があっても「白いまんまを食べている。』と言っちゃダメだよ。『みんなと同じように粟などを食べている』と言わなければいけないよ。」と・・・。

すごい話である。

そんな体験を通して、その後も祖母や母とお手伝いさんの彼女とはずっと交流を続けていた。だいぶたって私も祖母や母、弟などといっしょに新潟まで行き、会うことができた。その中で祖母や母、そしておばさんから聞いた話の数々・・・私の経験したことのない話、びっくりするような話もたくさんあった。さらにその後彼女の家族と私との間でも手紙のやりとりなどが続いた。

今年の春に彼女は亡くなってしまった。祖母ももうこの世を去って10年になる。現在元気で暮らしている父母も高齢者と言われる年齢に突入してしまった。

戦時中の記憶を持つ人が少なくなっていく中で、戦時中の記憶は確実に私たちから遠ざかっていっているのだ。いくら記憶を語り継いでいくと言っても、経験のない人間が語り継いでいくのには限界があると私は思っている。しかし、記憶が遠ざかっていくからと言って忘れてはならない歴史であるのも事実。その記憶を持つ人たちから、忘れてはならないことをしっかり聞いて、見て、残していかなければいけないだろうな、と思っていたりする今日この頃だったりする。

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鬼が笑っちゃうお話

今年のフルートの発表会は10月14日である。昨年の発表会直後の記事には、「来年の発表会でフォーレの子守唄を吹きたい」などと書いていた私だったが、今年の発表会で見事に吹きたかった曲を選ぶことができたのだった。

この曲を吹くのを目標に一年間練習していたわけではない。発表会の場でなくてもいずれレッスンの中に取り入れてもらおうと思っていたのだ。しかし、昨年の時点で私は先生にも「フォーレの子守唄来年は吹きたいぞ。」などと言っていたらしく、発表会の曲を選ぶ話が具体化した段階で希望をしてみたところ、先生から「今年この曲を吹いても出場者とかぶらないのでちょうどいいかも。」といわれ、あっさりソロで吹く曲が決まってしまったのだった。

昨年の発表会では順番が最初の方だった。初出場、初級者ということで三番目で吹いたため今年も最初の方で吹くのだと思っていたのだが順番はまん中とのこと。先生に聞くと「今回は前回より曲の完成度が高くなると判断したのでまん中にしましたから^^;」と・・・ご冗談を・・・。

さて、今年の発表会も終わってないうちに何を言うかと思えば、それは来年の発表会で吹く曲の話。

今年の発表会では実はステックメスト?とかいう方が作曲した『「歌の翼に」幻想曲』という曲はどうかという話が先生からは出ていた。しかし楽譜を見た私が絶句してしまったためこの話はなかったことになってしまったのだった。他にも「アルルの女」から「メヌエット」だの、誰しもが聴いたことがある曲ばかり先生から候補に挙げられ、思わず私が「そんなレベルにありませ~ん!」と首を横に振り続けるようなことまであった。

しかし・・・『「歌の翼に」幻想曲』は私にとってもいずれ吹きたい曲の一つである。私はこの曲を何度か聴いたことがある。いずれも比較的華やかな音が出る楽器を持つ方の演奏したものだった。この曲をどちらかというと地味な音の出る私の楽器で吹いたらどうなるのか、どんなカラーで表現できるのか、私としてはちょっとやってみたいなと思っていたりする。

ただし今のレベルではこの曲を吹くこと自体が大冒険であった。吹いてみると全く吹けないということはないが、指がまわらないので16分音符?の下降スケールがうまくいかない、装飾音が吹けない、などなど技術的なものが立ちはだかっているのだった。これが来年になって解消されるものなのかどうかは私の努力次第・・・。

この曲を目標に1年やっていくわけではないが、来年の発表会に出られるようなら吹いてみたいものだと思った。

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語学は苦手だが

私は語学が得意ではない。日本語すらまともに使えないという状態なので外国語なんてとんでもない、そんなところなのだ。実際英語は話せない。今まで生きてきて2度ほど海外旅行へ行った事はあるが、最初に行った国スペインではなぜか英語がほとんど通じなかった。そこで「英語は万国で使えるわけではない」と偏見を持ってしまい、英会話にもほとんど興味を示さず過ごしてしまった。

そんな私だが、学生時代に第二外国語で中国語を習っていたことがあり、その延長でしばらく中国語を習っていた。地域の公民館の講座で習っていたのだが、数年続けているうちに仕事の中で簡単な案内をする程度であれば何とか話はできる、言っていることはわかる程度にまでなった。しかし、部署を異動し、公民館の講座の方が解散になり、そのまま自分でも努力はしなかったので今はほとんど会話ができなくなっている。

ということで、ここ20年近くも外国語とは縁の遠い生活をしていた私だが、フルートを習うようになって、そしてクロスステッチなどを多少するようになってフランス語の書籍や楽譜とお付き合いするようになってしまった。本を見てもフランス語なんて習ったこともないし当然のことながら何を書いてあるのかなんてさっぱりわからない。

楽譜を見るにしても音符は世界共通だし、クロスステッチの図案も見たままだからフランス語がわからなくても何の問題もない。しかし、輸入楽譜には時折フランス語で曲想を指示する単語や解説が書かれている。図案集にも何やら説明書きがフランス語で書かれている。単語すらわからないのがくやしくて、数日前にフランス語の辞書を購入してしまった私だった。

ひさしぶりに辞書をひいてびっくり仰天した私だった。え?これってそういう意味だったのか、この単語は活用形だったのかなど・・・。触れたことのない言葉にちょっぴりびっくりしながら何を書いてあるか調べていく私だった。

さすがに現段階では文法書まで買ってきて勉強しようとまでは思っていない私だが、国が違うと言葉もここまで違うのか、とか、英語と似たような単語を見つけてびっくりしたりとなかなか楽しい時間を過ごしていたりするのだった。

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どうにかこうにか

11日にフルートのレッスンがあり、そこでやっとアルテス12課を終了した私だった。いったい何ヶ月かかって1課仕上げたのだろうかと思っていたら、おおよそ2ヶ月かかっていたのである。その間レッスンは全部で6回、うち1回が体調不調でアウトになっている。実際はもう少し早く仕上げられたのかもしれない・・・。

この日は出がけに少々腹が立つできごとがあり、先生のお宅に着いてから5分くらい「くやしいいいい~!き~っ!」と叫んでいたりした。(叫んでいたばかりではなく、先生が聞いてくれるのをいいことにぶち切れ気味で腹が立ったことを話していたと思う・・・今思うと顔から火が・・・。)

そのおかげだったとしたらあんまりだと思うのだが、先生が聞いていた限りこの日はびっくりするほどしっかり音は飛んでいたのだという。私自身も変な力が入らないままフルートを吹いていた。一気にぶち切れた反動で頭の中に余計な事が何もなかったのが幸いしたのかもしれない・・・。

この日私の耳に聞こえてきた私のフルートの音は、私の耳からかなり遠いところで鳴っているような落ち着いたやや低めの地味な音。これが私のフルートが出す音なのだと納得できる音だった・・・。

そして、ずっとつっかえ続けていたアルテス12課のエチュードを一気に吹き通してクリアしてしまったのだった・・・。練習時いつも苦しんでいたはずの高音が出る、普段回らないはずの指が動く、そしていつも間違えるはずの場所でずっこけない・・・何事もなかったかのようにすらすらふけてしまったのだから私も驚くしかなかった。

そして・・・ついに13課に入ることになったが、私の苦手な指づかいがいっぱい、恐怖の高音が出てくるわ・・・「何これ~。私の苦手なもの集大成だ・・・」とつぶやく私に先生は「誰しも苦手はありますよ~。ただタピアンさんは指づかいさえ覚えられれば指がかなり回るし、リズムを取るのは全く問題ないのでこの課は思ったほど苦戦しないと思っているんですが。」と一言。

家に帰ってから13課をさらってみたが、どうにもこうにも指が回らない。指づかいを覚えてないからだと思うがめちゃくちゃである。最初の方の練習課題は練習してみたらどれもどうにか吹けるのだが、エチュードは聞くに堪えないもの。この課は同じ主題でバリエーションが2つ、合計3つの短いエチュードが一曲になっているのだが、2つ目のバリエーションでは最初からこけまくってしまい、何を吹いているのかわからなくなってしまうありさま。

長い長いアルテスの1巻もだんだん終わりに近づいてきた。今年中に終わらせたいという昨年の目標はかなえられないと思うが、卒業は思ったより早くなりそうだ。ここまで来た以上しっかり吹けるようにしてから終わらせたいものだと思う。

そして今年、10月中旬の発表会へ向けての曲が「子守唄(フォーレ作)」。これは昨年の発表会が終わった時点での目標曲だった。この曲が吹けることはとてもうれしい。好きな曲なのでしっかり吹きこんでいきたい曲なのだが、先生から言われた一言に絶句。

「実はこの曲を吹きたいと言っていた生徒さんがいたんです。この方は今年はフルートのレッスンに来られず発表会にも出られません。でも、この曲を吹く人がいると聞いて発表会を聴きにくるのを楽しみにしているんですよ。」

先生、お願いだから変なプレッシャーかけないでほしい・・・。

今の段階でこの曲はほとんど吹けているらしく、音取りやリズムなどは問題ないという。ただスラーの位置を誤ってしまったり、どうしても息が続かないところが出て楽譜の指示通りに吹けない部分があるのでその修正と、曲のイメージ作り、音作りをこれから1ヶ月かけて練習していくことになっている。

最終的には私が吹きたい子守唄のイメージがしっかり出せるようにしたいなあと思っている。

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猫の散歩

仕事からの帰り道、家の近所を自転車で走っていたら猫を散歩させている人を見た。その猫は首輪をしており、犬と同じようにひもをつけた状態で散歩していた。飼い主さんはゆっくり猫に合わせて歩いていた。

「猫って散歩ができるものなのか?」と思い、飼い主さんをつかまえて話を聞いてみた。ちなみに昔うちの猫にハーネスをつけて外に出したら、塀に跳び上がってしまい散歩にならなかったのだ・・・。

見知らぬ人に話しかけられた飼い主さんは最初びっくりしていたが、私が「猫を散歩させているのはめずらしいから」と話すと、いろいろ事情を話してくれた。

散歩をしている猫は4歳くらいでもともとは野良猫だったという。1歳くらいの頃すぐそばの道路で交通事故に遭い、腰の骨を折ってしまったそうだ。鼻も轢かれておりもうダメかと飼い主さんは思ったそうだが、見捨てるわけにはいかないということで近くの獣医さんに手術をお願いしたと話していた。

手術の結果一命をとりとめ、歩けるようにもなったという。轢かれたはずの鼻もすっかりその跡はない。ただ、腰の骨を折ったことで走ることはできず、跳び上がることもできないという。ゆっくりゆっくり歩くだけ。飼い主さんはこの猫を飼うことに決め、完全室内飼いにしてしまったというが、不憫に思い散歩だけはさせているという。

散歩中にもう一匹小さめの三毛猫がこの猫めがけてとんできた。聞くと事故に遭って命をとりとめた猫の母親だという。この母親は今も飼い猫にはなっていないというが、飼い主さんがえさを与え、手術までしており、実際には玄関先に居ついているそうだ(中に入るようにしたが母猫は絶対に入ってこないという)。そして散歩で自分の子が歩いているとどこにいてもとんでくるのだと話していた。

うちの猫も交通事故に遭った猫だと話すと、「運のいい子っているのね。」という話になり、猫談義に花が咲いてしまった。

しかし、運のいい子は本当に一部だけ・・・。近所で猫を飼う人に聞くとほとんどが「捨て猫だったんだ。」とか「もともとは野良猫だよ。」だという。その数もたいていは1~2匹。比較的近所に迷い猫や外猫を積極的に保護している方はいるが、その家にいる猫も10匹までだ(この家だけは例外で、土地が広い上、家自体がお屋敷なので10匹いても問題なし)。それでも全部数えたところで50匹にもならない。

外猫の世界は厳しい。私の住む場所では結構な数の野良猫を見かける。毎年のように子猫もたくさん生まれているが、最長でも3年くらいでほとんどが姿を消してしまうのだ。そして見かけない猫が・・・多分捨てられたのであろう、それが増えてまたいなくなり・・・を繰り返しているのだ。それが悲しい現実。

私は10年近く前に今の場所に引っ越してきたが、毎日のようによく見かける子はどこかに餌場を持っていたり、実は飼われていて外出ができる子たちだ。

私自身もこの7年ほどの間に今飼っている猫を含めて2匹の猫を保護することになった。

何かの縁があって保護した子だけでも、しっかりと世話をしてあげたいものだと思う。

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