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卒業保留!!

おちゃらけブログだった私のブログ、ここ数日はちょっと傾向が違う記事が続いていた。お気楽な私にもふとまじめに考えることがある。そんなのも私だったりするが、この数日の記事にもコメントをいただき皆さん本当にありがとうございました。

昨日の記事に、ne568さんがコメントをつけてくださった。それを見て過去の苦い記憶を思い出したので記事にしてしまうことにした。もう時効だろう。

高校3年生の時、私は理系クラスにいた。選択科目は物理・化学。こてこての理系だった・・・。しかし3年生5月の段階で私は理系クラスにいながら、早々と志望校を文系の学校にしてしまっていたのだ。

私は当時教員になりたいと思っていたので教育学部への進学を希望していた。私が行きたかった大学の入試科目は全校国語、数学、英語のみ。第一志望に当時の共通一次はあったものの理科と社会は1科目だけでOK・・・。社会はもともと好きだった地理を選択しており、理科はと言うと化学を選択していた。となると、言い方は悪いが物理=受験科目じゃない・・・となり、次第に定期試験の勉強もおろそかになっていった。

1学期は評定に「2」をつけられた。2回の定期試験どちらも平均点に到達しなかったのだ。2学期は2回あった定期試験がどちらも平均点を上回り評定は「3」。

そして3学期。1月に定期試験が終わり、2月からの家庭学習に入った。2月から家庭学習に入ると学校に行かなくてもよくなるが、定期的に登校日がある。その2回目の登校日のある日、物理の先生から職員室に呼ばれたのだった。

職員室に行くと先生が笑っていた。

先生「何でここに呼び出されたかもうわかってるよね?」

私「はい・・・3学期の物理のテストの事ですよね。」

先生「そう。何点取ったか当ててみ。」

私「20点くらいかな・・・。」

先生は黙って私に採点済み答案を見せた。そこには、あろう事か5点という数字が書かれていた。おそらく一生で一度の1桁台の点数。しかも学年最下位。さすがの私も驚いてしまい言葉が出なかった・・・。

ということは・・・3学期の評定は「1」。

え?ってことは・・・3学期の学年末評定が「1」???

まずい!!私の学校には3学期につく学年末評定が「1」だと留年という決まりがあるという話を先輩から聞いていた。学年末評定は3学期の試験で決まるらしいと。ということは私は3年生をもう一度やり直しだ!卒業はできないということになってしまう・・・。

先生は私の顔を見て言った。「まだ受験が残っていたよね。」

そのとおりだった。その時は第一志望校の試験を残すのみだったのだ。

「あのね、とりあえず今回は追試という事になると思うよ。ただまだ試験が残っているんだから、今回の事はいったん忘れて試験を受けることだけに集中しなさい。試験が終わったらまた呼び出しをかけるからね。」

そう言われて私は職員室を後にした。

その一週間後に第一志望校の試験が終わった。3月に入って初めての登校日に物理の先生がニコニコしながら私のところにやってきた。

「卒業認定会議にかけたけど、あなたの学年末評定は「2」。無事卒業決定、おめでとう。」

卒業認定会議で、私の評定は「2」+「3」+「1」=合計「6」。「6」÷3(学期数)=「2」となったそうだ。3学期の試験での評定は「1」であることにかわりはないという。先輩から聞いた話を先生にすると「3学期の試験だけで学年末評定がつくというのは違うよ。それじゃ1回失敗したら全て終わりだろ。」と笑っていた。

こうして私は一週間後に無事高校を卒業した。その後幸いにも第一志望校に合格することができた。その報告に行くと物理の先生はまた笑っていた。

「教員になりたくて大学行くんだったら、入学する前にきちんと高校でやった事を復習しておくんだよ。あとでついていけなくなったら目も当てられないからね。それに、自分がわかっていないことを他人に教えるってのは無理だ。相手にわかる言葉で教えるためには自分がきちんと理解していることが必要だと思うよ。」

ちなみに、物理の5点は先生の責任ではないと思う。先生の授業をまともに聞いていたらこんなことにはならなかった。実際2年生の時も同じ先生に物理を教えてもらっていたが、授業自体はとてもわかりやすく、本当に授業を聞いていただけだったが試験でどんな問題が出されても対応できていたのだから不思議だ。

受験が終わってから物理の参考書を買い、大学に行く前に本当にもう一度やり直した私だった。高校2年の時教えてもらった部分は何の問題もなかったが、3年で教えてもらった部分はめちゃくちゃだった。「二度も余計な手間かけるんだったら最初からきちんとやれ!」とイヤというほど思い知らされた私だった。

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昔のお話」カテゴリの記事

コメント

5点!!負けた。
でもねもっとすごい記録持ってるよ。
高校2年までは、な〜んにも考えていなくて
「どっちかっていったら進学かな」程度だったので、
遊んでたんですよ、2年生までは。「留年しなきゃいいや」って。
田舎の高校で進学組が極少数派、いい環境だったわけです。(笑
そして3年になって最初の全国模試の偏差値が5か6か…そんなんだったのです。高三の偏差値ですよ!
もちろん現役合格なんてあり得ないと分かってたし、
予備校に通ってみたかった、という不心得者でもあった。
そして最後の共通一次世代に紛れ込んだのでした。
高三の春から大学受験用の勉強を始めて
浪人の夏には50からぐいぐいあがって
見事第一志望に合格できました。
第一志望といっても「親の」ではなく、あくまでも「私の第一志望校」ということなのですが。(笑
なんだか今日はやけに”我が半生を語る”みたいになりましたね。

投稿: ne568 | 2007年2月23日 (金) 23時06分

うちの頃は理工系ブームで、文転はいつでもできて潰しが利くからと安易に理系に進み、就職するまでどうにか通しました。文系だったら当時は大卒では多分就職できなかったでしょう。

投稿: 内部正明 | 2007年2月24日 (土) 01時27分

タピアンさんにはほろ苦い思いでなのですね?

共通一次、piccoloも受験しましたよ(失敗しましたが・・)
私も教員志望で経済的な理由で私大はあきらめて国立一本に絞ったのですが、あえなく惨敗!就職したもののあきらめられず1年後に夜間大学に入学し教員免許を取りました。働きながら教育実習に行くための休みを取るのがとても大変でした。
結局、教員試験に5回ほどチャレンジしましたが返り討ちにあいました・・・

私にとってもほろ苦い思い出です。

投稿: piccolo | 2007年2月24日 (土) 02時21分

いい先生ですね。とってもいい先生だと思います。
私は進学校には珍しく、ちょっと特殊な芸術関係の大学を希望していたので
「前例が無いから、どう指導して良いか分からないので
 何とか自分で頑張ってください」と言われました。
幸い、まだ得意とする国語と英語のみの受験だったのですが、
これで数学とか理科とかあったら、間違いなく人生変わってました。
タピアンさんの高校に行ってたら、留年確実ですよ。
1桁の点数なんて、珍しくなかったもん・・・えへへ。
何度も何度も追試を受けたけど、それでも卒業できたのは、
先生の温情だったのでしょうか。まあ、これも時効ですから。
タピアンさんって、理系な感じします。

投稿: アキ | 2007年2月25日 (日) 13時57分

タピアンさん こんにちは(*^_^*)
記事を読んで、タピアンさんには悪いのですが、ホッとした気持ちになってしまいました。
捨てる時は本気で捨てちゃうタイプですね。
私もタピアンさんほどではありませんが、同じような経験があり、とんでもない点数とったことあります。
ほんと、今はもう時効ですよね。

投稿: ムーン | 2007年2月26日 (月) 22時05分

こんにちは♪

私も人生最低点をとったのは物理のテストです(^^;
決して物理キライだったわけじゃないんですけどね。
ショックというより、笑っちゃう点数でした。

私は志望校がなかなか決まらず、5教科の大学も受けられるよう
文系クラスでしたが数学と化学の授業もとっていました。
最終的に受験に必要だったのは国語・英語・社会の3教科でしたが
就職してから、数学(というか算数?)の知識が必要なことが時々あるので、
何でも勉強しとくもんだなぁ、と思いますね(^^)

投稿: るーさん | 2007年3月 2日 (金) 15時48分

コメント返しがまたまた遅くなってしまいました。

♪ne568さん、こんばんは。
す、すごい経験してますね。偏差値5ってなかなか取れるものじゃありませんよね…。負けました…。
予備校に通ってみたいというのは私もありました。それで親に頼み込んで高校2年の時冬期講習に通いましたが、予備校の授業が全くわからず、帰りなどお買い物三昧で遠足と化してしまっていたので「もう二度と行くか~!」とその後は全く行きませんでした。でもこの講習を境に急激に成績が上がったのだから皮肉なものです…。

♪内部正明さん、こんばんは。
確かに当時理系は就職に有利という話がありました。私は理系から文系へ転換は可能だけど、逆は絶対無理だという話があったため理系へ進みました。結果的には理系に進んでおいてよかったのかもしれません…卒業時は一応自然科学専攻だったので…。

♪piccoloさん、こんばんは。
夜間大学で教員免許を取っていらしたのですね。相当大変だったのではないかと思います。昼間で教員免許を取得するための大学に行ってたって大変だったので…授業の数が半端じゃなかったのに実習やら実験やら何だったのだろう…と今は思います。
教員免許は取ったものの結局教員にはなりませんでしたが、今の仕事をしていてもやはり子供が関わる事は気にかかるもの、だったりします。

♪アキさん、こんばんは。
この先生、優しい先生で学校でも人気があったおじさん先生でした。ゆったりした授業の中でたまに出る「チクッ」としたユーモアやブラックな話が特徴の先生でした。もう既に教壇を去られておりますが、数年後に学年全体同窓会がある予定なので、お会いできたら改めて「ありがとう」と言いたいです。
芸術関係の大学だと、先生が対応できないなんてことはよくありますよね。うちの学校もそうでしたよ。皆自分で何とかしなくちゃだったので芸術系に行く人は自力で頑張ってました。
私が理系…「あなたはどうやら文系と理系の中間点にいるのではなかろうか?」と当時の先生方からは言われていました…。よく言えばマルチ、悪く言えばどっちつかず…。

♪ムーンさん、こんばんは。
捨てる時は本気で捨てる…この頃からだんだんその傾向が強くなっていき、最近は特にひどくなってしまいました…。さすがに仕事でこれをやると大顰蹙をかうのでしたことはありませんが、大人になってからは避けて通るという技を覚え、「イヤなものはイヤ!」となってしまうようになりました…。キライなものでもやるべきことはやりますが「これキライ!」周囲は大迷惑ですね…。

♪るーさん、こんばんは。
同じく物理で最低点ですか・・・。仲間がここにもとほっとしております。ショックと言うより私も驚くほかありませんでした、当時。
受験に必要ない科目は勉強しない、それでも何とかなりますが、大人になってからとんでもないところで当時の知識が役に立ったり必要だったりしたこともあって、高校あたりの勉強でもムダになることはないんだな、と思ったのは私も同じです。何でも勉強しておくもんですね。

投稿: タピアン | 2007年3月 4日 (日) 21時10分

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