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2006年8月

餃子

今日のおかずは餃子である。

仕事で遅く帰ってきた時はごはんを作るのが苦痛なことがある。また体調が悪い時もごはん作りはきびしい。そんな時役に立つのが餃子だったりする。餃子は私が一番好きなおかずだ。そして数少ない作るのも得意なおかずの一つだ。これだけはレシピも確認しないし、味付けも計量スプーンなしでやっている。最近はあんの味も安定しており誰か来た時でも安心して出せるおかずだと思っている。

うちの餃子はキャベツ(冬は白菜に変わることもある)、にら、ねぎ、豚ひき肉と少量のにんにく、しょうがが基本のあんになっている。材料が手に入る時は必ず夫と私の苦手なものが必ず刻み混ぜられている。夫の場合ほたてやえびを積極的に食べないので、肉の量を減らした分ほたて貝柱だのえびなどが混ざっていることがある。私はしいたけが苦手だったので同じく肉の量を減らししいたけで増量をしている(私は結婚後しいたけが食べられるようになってしまったので、今はほぼ普通に混ぜ込んでしまっている)。

ゆでたキャベツ(白菜)をみじん切りにして水分をしぼり、みじん切りにしたねぎとにら、ひき肉やしいたけ、にんにくやしょうがと混ぜ、片栗粉、ごま油、醤油を入れて手であんを練る。野菜と肉の比率はうちでは野菜2:肉1にしてある。最近は肉の量のうち3分の1くらいをしいたけが占めることが多くなってきた。

これを市販の餃子の皮で一個一個包んでいく。私はこの作業が大好きだったりする。包んだ餃子は蓋付きのフライパンにお湯を入れ、3分くらい蒸す。そうすると餃子の皮が透けてくる。その後余ったお湯を捨ててごま油をかけ、蓋をして蒸し焼きにする。ちりちりと小さな音がしてくると餃子がきつね色になり焼いた面はパリパリになる。餃子を焼いてから水を注ぎ、蓋をして蒸して焼いている方も多いと思う。実家ではそうだった。しかし私はどうしてもその焼き方だと焦げ付いてうまくいかない。そんな時何かのホームページで先に蒸す方法を知りやってみたところうまくいった。そのまま私の家ではその焼き方が定着した。

私は実家にいた頃家事を手伝ったことがない人間だった。見かねた母は私に「一番大好きなおかずの餃子くらいは自分で作れるようにしてね。」と言い、餃子作りだけは私にやらせていた。

実家では材料にしいたけやほたて、えびが入ってしまうこともなかったと思う。白菜がおいしい時期でも白菜を使うことはなかった。先ほども書いたが焼き方も私の家と実家は逆だ。母の味はいつも同じで大好きだが、今作っている私の餃子は母の味とは微妙に違う。母の味を受け継ぎながら自分のアレンジを入れている、そんな感じがしている。

休みの日は大量に餃子を作って、その日食べない分はそのまま金属トレーにならべて冷凍室へ入れてしまう。凍ったら様子を見て袋にしまっておく。この自家製冷凍餃子があると忙しい日の夕食作りがとても楽になる。フライパンを出してきて焼くだけなので。そんなこんなでうちは一ヶ月に一回は必ず餃子が夕飯のおかずに登場する。

餃子万歳!である。

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教育実習

私には慢性的な持病がある。数年前おなかが痛くて病院に行ったところ胆石があるとわかったのだった。石は薬で溶けるものだったこともあり服薬治療はしていたのだが、今年の6月、胆石が原因と思われる胆のう炎になってしまった。胆石特有の痛みはなかったが胆のうが触ってわかるほど腫れ、腹部には違和感を覚えた。食べ物も摂れないため病院へ行ったところ入院するよう言われてしまった。しかし6月は月末までに仕事で使用しているシステムの改修を進めなければならなかった。そのための検証作業を依頼し、自分でも検証を行い、問題点等の報告をまとめるのは私の役割だった。ここで入院などしたら代わりの人間がいない。いっしょに仕事をしているチームのメンバーは4月に配属されたばかりで他の仕事を覚えている最中。私がダウンしても「代わりにこれやっておいて。」と言える状態ではなかった。結局先生とやりあって入院は避けられたものの、「とにかく一週間程度仕事は休みなさい!」と安静を言い渡され四日間仕事を休んでしまった私だった。

職場へ出てみると案の定机の上は書類の山、メモが大量に貼られている状態。その後結局毎日のように残業が続き、ついには休日出勤にまでなってしまい二週間とんでもない状態が続いてしまった。6月末システムは何とか動き出した。毎日薬を飲んでいのと仕事で気が張っていたせいか胆のうの腫れを意識することはほとんどなかった。

ところがこの山を越した頃から薬を飲み続けているにもかかわらず、疲労が蓄積したりすると胆のうの腫れがぶり返してしまうのだ。痛みが出るようになったら手術をすると言われているため、腹部に違和感を覚えるとぎょっとしている。

結局今日は朝から違和感があり、通院もあるため仕事をお休みさせてもらった。

ってなことで今日は長い記事でも書いてみようかと思う。

10数年前に私は地元のある小学校で五週間の教育実習をした。当時私はある大学の教育学部に在籍しており、小学校教員免許取得を目指して勉強していた。

その学校には三人の実習生が派遣された。私は実習先で小学校三年生を受け持つことになった。子供たちは皆とてもかわいくて素直でいい子だった・・・しかし、実習前のガイダンスの日私は「三年生を持った人が一番苦労するかもしれない・・・。」とその学校の先生同士が話しているのを耳にした。「ん?」と思っていたのだが、その後のガイダンスで校長先生からも「三年生は・・・普通一番実習生にはやりやすい学年のはずなんですが・・・頑張ってください。」と妙な励ましの言葉をかけられた。イヤな予感がした。

イヤな予感は大当たりだった・・・。

配属先のクラスの子供たちはとてもかわいかったのだが・・・。

この学校は昼休みに掃除をすることになっていた。教室当番の子供たちを見ていたらバケツに水を汲んでいる。ここまではよかったが、あろうことか子供たちは教室にバケツの水をまき始めたのだ。水をまき終わると教室に置いてある大量の乾いた雑巾を床にまいて水浸しの床の水分を吸い取らせ、それを絞って干していく。

「普通はぬらしたモップなり雑巾で床を拭いていくんじゃないのかな?」

びっくりして廊下へ出てみると、廊下当番の子供も全く同じ事をしている。まさかと思いクラスで担当になっている部屋の掃除を確認しに行くと、みんな同じ事をしているのだ。思わず隣のクラスを見に行くと、何と同じ事をしている子供がいる。

この学校ではこういう掃除の仕方なのかと思い他の階に行ってみると、他の学年でこんな掃除をしているところはなかった。どうやら三年生だけが掃除の仕方が違うようだ。担任の先生に聞くと「しまった!やったか!!」と頭を抱えてしまった。どうやら先生が目を離すとこういうことになるらしい。

翌朝は早く来てクラスの掃除をしていた。掃除が終わる頃に子供たちが登校し始めクラスは元気な声で満たされていく。子供に声をかけながら授業前の準備をしにいったん控え室に戻ってからクラスに帰ってくると・・・なぜか泣いている子供が5人、6人・・・。

「何だいこりゃ・・・。」

理由を聞くと「○○くんにぶたれた。」とか「○○さんにいじめられた。」とか・・・朝から子供同士がちょっかいを出し合っているもよう。元気がいいのはよいことだが・・・。他にも走り回ってはいけないはずの教室で机にぶつかってケガをして泣いている子供や、朝自習の時間に大騒ぎしている子供まで・・・。

「ちとエネルギーがあり余っているんじゃないのかな・・・。」

授業が始まるとどうも集中力がなく近くの席の子にちょっかいを出しているのがいたり、席から離れる子供が複数いたりする。この時点で私はまだ授業を受け持ってはいなかったので「何してるの。」と声をかけると子供はきちんと席に着き、授業を聞き始める。

午前中の授業が終わり給食の時間になったが、配膳後また泣いている子供が5人、6人・・・。何があったのかと聞くと「おかずがない・・・。」とのこと。その日はおかずがない子供が10人もいた。既に配膳の終わっている子供の中でなぜか量が多い子供のを少し取り上げ、自分に配膳された分を分けて何とか対応したが、その日私のおかずはなしだった・・・。このクラスには牛乳を一日おきにしか飲めない子供がおり、その子からもらった牛乳で何とか空腹をまぎらわせた。ちなみに実習生が来る日からこのクラスの給食は大人一人分増量してあると給食室で言われたのだが・・・。

「それで何でおかずが足りなくなるんだよ・・・。」

こんな状態が三日間続いた。さすがの私も何だか変だな?と思い担任の先生に話をしてみた。

「このクラス、何だかちょっとずれているような気がするんですが・・・。」

担任の先生は「実は・・・。」と言い事実を語ってくれた。

この年の三年生は学校内で一番生活習慣ができあがってない子供の集団だとの事。二年生までに本来ならできるようになっていなければいけない事が全然できていない、さらに二年間それで誰も注意しなかったため何がいい事か悪い事かの判別もできない部分があり、学校一の問題学年だという。そのためこの学年にはベテランの先生が貼り付けられた。そういう事情もあり本当は実習生をつける予定はなく、私は二年生を担当する予定だったという。ところが二年生の担任が実習生を見るのはイヤだとごねてトラブルになり三年生の先生が実習生を受け入れることになってしまった・・・という話だった。

この話を聞いたときは実習ボイコットをしてやろうかと一瞬思った。しかし本当に大変なのはただでさえ問題の多い子供を受け持つだけでなく、わけのわからない実習生まで受け持つ三年生の担任の先生方だと思ったので、ボイコットみたいな真似はしないことにした。かわりにそこまで問題になっている学年を持てておもしろいや、他の実習生にはできない経験があるかも、と開き直ることにした。

そんなこんなで一週間が経過していった。その後はまた機会があったら書きます。

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調子に乗ってもう一つ

一日二つの記事を書くことは今までなかったが、今日は調子に乗って書いてみた。

発表会に出る時の服装について考えてみた。今回はそれなりのホールを借りての発表会、フルートの他にピアノとギターの演奏がある。そう、先生方合同の発表会なのだ。

私も幼少時からピアノを習っていたので発表会にはそれなりに出ていたが、子供の頃のそれは晴れ舞台だった。ドレスを着て出たことはなかったがワンピース程度は着ていた。ある程度の年齢になってからも発表会に出ていたが、その頃になると貫禄のある曲を弾くようになっていたので着る物についてはほとんど気にしなかった。部活で忙しかったこともあり一時期は学校の制服で出てしまったことまである。

大人になった今になって発表会に出るにあたって、今回は気になる部分がある。技術的な面で未熟な分服装をどうしたらいいのか、ということだ。先生に聞くと服装は自由だということだったが、「GパンTシャツにスニーカーで出る」と言ったら「ダメ」と言われてしまった。

だったらどうしよう。私は考えた。演奏が未熟な分笑いや驚きを取ってしまう方法に出てはどうかと・・・。だったら思いっきり目立つ服装で出るのもいいな・・・。

①和服でフルートを吹く

私は好きで夏用の和服一枚、ゆかた数枚を持っている。それを着て出たら目立つ。実際に冬に着物のアンサンブルでレッスンに行ったことはあった。和服が好きなんだからいいじゃん!と開き直れる。いい意味で服装は目立つ。演奏がひどくて悪い意味で目立つのが服装でカバーできるかな・・・。←実際その逆もありか。ちなみに自分で着物は着られるが着くずれ大王である。帯結びはいまだに大の苦手だ。

②チャイナドレスでフルートを吹く

先週近所の古着屋でとんでもない安値のチャイナドレスを見つけた。ふざけて試着したら驚くほどぴったりとサイズが合っている。服自体の作りもいいし、柄も黒地に植物の刺繍で思ったより上品だった。一着ぐらいあってもよかろうと思い買ってみたが、着る機会はパーティーぐらいしかないだろう。だったら発表会で着て思いっきり目立つのもいいかも。←目立つというより驚かれる可能性のほうが高いかも・・・。姿勢の矯正にはちょうどいいかもしれないが、横のスリットをイヤらしくなくするにはどうしたらいいか考えなきゃいけないな・・・。

③フォーマルドレスで出る

数年前弟の結婚式用にワイン色のロングワンピースを購入した。弟の結婚式で着て以来その服には袖を通していない。色もおとなしめだしヒラヒラした感じのものではないのでこのくらいなら許される。←ただこの服の色はしっかり化粧をしないと不健康きわまりない目立ち方をしてしまう。ただでさえ化粧するのが苦手なのに。ちなみに私は脂っぽいので汗と化粧くずれがいっしょになるとフルートのマウスピースの位置がずれることがあり、音を出し損なった時には冷や汗も混じって顔がテカテカになってしまう・・・。

いずれにしてもドレスアップすると未熟な演奏と釣り合わない。ってことは少し改まったワンピースやツーピースで出ればいいのかな・・・そう思った私だった。

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先週末のレッスンから

三日過ぎた。ここのところ毎日非常に短い時間だがフルートを吹いている。

日曜日はさすがに一時間から二時間の練習をしたが、月曜、火曜は仕事から帰ってくるのが午後七時過ぎということもありそんな練習時間は取れない。幸いというのかわからないが夫が社内の試験に向けて勉強をするため一時間くらい喫茶店などに行くのでその間を狙って練習をしている状態だ。

ちなみに昨日は10分の練習だった。発表会で吹く曲の苦手な部分だけ取り出して練習したが、高音が思った以上に出たので調子に乗って集中して練習した。

今日は30分程度の練習だった。最初からエンジンのかかりが悪く中音すらまともに出せなかったのでアルテス1課のエチュードをひととおり吹いてから曲を練習した。まだ連続三日だが確実に本調子で音が出せるようになるまでの時間が短くなっているように感じている。

この場を借りて自分にプレッシャーをかけてみることにした(ブログを見ている方がいたら笑って応援???していただけると幸いです・・・)。

     「発表会まではどんなに短い時間でも

      毎日フルート練習しま~す!!!」

自分で書いたこの宣言、いったいどこまで守れるでしょうか・・・。

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伴奏者との曲合わせ

発表会までついに二週間少しとなった。今日は伴奏者の方と曲を合わせることになった。

いきなりユーモレスクから合わせて吹くことになったが、伴奏が思った以上にゆっくりで私が焦って走ってしまったのだ・・・。やはり普段のレッスンと違う状況もあり私自身もかなりあがっていた部分はあるが・・・。

            「うわあ!最初からすべったあ!!」

焦っているとロクなことがない。一回目に通して合わせたユーモレスクは最初から最後まですべりっぱなしだった・・・・・・。これにはさすがの私もショックを受けた。

伴奏者の方も先生も「そこまですべってはいないと思うけどなあ・・・。」と言ってくださった。どうやら今日は音だけはそれなりに鳴っていたようだったので、すべっていたといっても何とか聴いていられるレベルだったらしい。その後伴奏者の方と先生、私とで速度やブレスの位置、音を伸ばすところや切るところなどの細かい調整を行った。おかげで二回目のユーモレスクはそれなりの演奏ができた。

その後先生とのデュオ「星に願いを」で伴奏者の方と合わせた。伴奏がとてもきれいな上、先生と音が合えばかなりいい曲に聞こえるなあと思った。この曲を吹き始めた頃からフルートが鳴るようになってきたので気持ちよく吹くことができるようになった。

この曲の間奏部分の伴奏がとてもきれいなのでじっと聴いていたら、先生が吹くところを忘れてしまった。とりあえずそのまま演奏を続けたが、次の間奏部分で今度は私が演奏を忘れてしまった。一回目の合わせが終わった後三人で大笑いになってしまった。これではまずいということで二回目をやり直した。この曲に関しては細かい調整はあまり必要ない状態だった。

やはり高音がうまくいかない。出る時はびっくりするほどきれいに出るのだが、それが一瞬だったり一小節分だけだったり・・・。ふと鏡を見たらまたフルートの位置が狂っている。とにかく唄口を外側へ、顔を上げすぎずあごを引く、フルートを持つ腕を前に出す、と構える姿勢を少しずつ修正していった。姿勢が整ってくるとあれほど喉から出していた高音がうそのように楽に出せるようになっていった・・・。私の場合レッスンの開始時間からまともに音が出せることは少なく、いつも30分くらいたったところから音が鳴るようになってくる。ちょうどレッスン開始から30分たっていたことも幸いしたのだと思う。

そして最後に「星に願いを」を合わせた時、びっくりするような事が起こった。曲の中で必ず一度は吹き損なう高音部分を意識することなく全部クリアに吹けたのだ。そして曲の最後で必ず肩が痛くなったりするはずなのに、それは全くないままで吹き終えてしまった。合わせて吹いていて本当に音の響きを楽しむことができたのだった。これには先生が驚いてしまい、終わるとすぐこう言った。

 「今、すごく余裕を持って楽しんで吹いてましたよね?」

 「はい、そのとおりです、とても楽しく吹いてました^^本番がこうだったらいいんですけどね^^;」

最後にユーモレスクを合わせてみたら、すべることなく吹くことができた。やはり高音部分はきれいにふけていた。ただ今まで間違えたことのない部分が怪しくなっていた・・・。

前回のレッスンから二週間。その間毎日フルートの練習ができたわけではない。ただ時間のある時は5分であろうとフルートを吹くようにしてきた。その結果としていつもよりまともな演奏ができたのだと感じた。だとすると・・・

         あと二週間の練習が本番を左右することになるのだろう

やれるところまではがんばって練習してみよう、と思った。

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うちの猫 その3

5年前子猫を拾い、親に勝手に「ごろにゃん」(以下「ごろ」とする)という名前までつけられてしまったところまで先日のブログで書いたが、その後私はこの猫の飼い主と里親探しをすることになった。

「ごろ」はとてもおとなしく、一匹できちんと留守番もできていた。いたずらをするわけでもなくいつも私の近くにいて喉を鳴らしていた。

まず、「ごろ」に本当に飼い主がいないかどうか調べようと思った私は、「ごろ」を拾った近辺にビラを貼ってみることにした。買ったばかりのデジカメで「ごろ」の写真を撮り、それを印刷してから、「迷い猫です」として拾った日・場所、私の連絡先を記入した。

近所の店や動物病院でビラを見せて迷い猫の情報を得ようとしたが、近辺でそんな話は聞いたことがない、と言われてしまった。知っているところにはビラを貼らせていただいたが、一週間過ぎても二週間過ぎても「この猫はうちの猫だ。」という連絡はなかった。

そのうち「ごろ」の予防接種の日が来た。獣医さんに相談したところ、迷い猫としての飼い主を探しても多分もう見つからないと思うので、里親募集に切り替えた方がよいと言われた。そのためまた「ごろ」の写真を撮り、一番かわいく見える写真を印刷して「里親募集」としてビラを作り直した。作り直したビラは行きつけの動物病院にも貼らせていただいた。

「ごろ」の二回目の予防接種が終わった頃動物病院から連絡があった。子猫をほしいという人が現れたとのことだった。子供が二人いる若いご夫婦で、家も私のところよりはるかに広いし、ご夫婦とも猫が好きとのこと。私の家からも近いところに住んでおり連絡先もしっかりしているという。獣医さんの話だと他にも子猫をほしいという話があったが連絡先がしっかりしていない人だったため断っていたとのこと。

「ごろ」の引渡しについて連絡すると、すぐ引渡しでもかまわないということだったため私は「ごろ」を引き渡す準備を始めた。しかし一ヶ月近くいっしょにいたせいか情が移ってしまい直接「ごろ」を引き渡すとその人の前で涙が出そうだった。獣医さんにその事を話したら私のかわりに病院で引渡しをしてあげますよ、との話だった。引渡し先のご夫婦が猫を飼うのは初めてのようなので飼い方も教えてあげたいとのことだった。私は獣医さんに「ごろ」を連れて行き、その後猫の用品一式を持って行き引渡しをお願いした。

こうして「ごろ」は私の元を離れていった。「ごろにゃん」という名前はついていたがそのことについては触れないでいいと話したので、獣医さんは新しい飼い主のために子猫の診察手帳を新しく作り直してくれていた。

「ごろ」を引き渡した後はとてもさびしくて思わず一人で泣いてしまった。でも新しい家で幸せになってくれればそれでいい。そう思うようにした。

次の日仕事に行って家に帰ってくると、家の留守電にメッセージが入っていた。獣医さんからだった。「あの・・・ちょっと言いにくい話なんですけど・・・またかけます。」何だろう?と思っていたら電話が鳴った。獣医さんだった。

「ごめんね。こんな夜遅い時間に・・・。実は・・・「ごろ」ちゃんが戻されてきちゃったんだよね・・・。」

「えええええええええええっ??????????」

事情を聞いたところ、引き取られたその日の夜「ごろ」が大暴れしたというのだ。そしてその家の子供をひっかいたあげくに家のものを壊してしまったりしたという。「ごろ」をつかまえようとすると今度はご夫婦が威嚇され、家中追い回してつかまえたものの、その後も「ごろ」が夜の間唸ったり大きな声で鳴いたりしてどうにもならなかった・・・というのだ。

驚いて獣医さんのところに行った。「ごろ」の目は逆三角形になっており、すごい表情をしていた。行った先でいったい何があったのだろうと思うような顔は私の前では絶対見せたことのないものだった。

「この子、他の家に里子に出すのはしばらく無理じゃないかな・・・。」獣医さんはそう言った。夜人通りも車通りも少なくなった道を「ごろ」の入ったバスケットを持って私はとぼとぼ歩いて帰宅した。

家について「ごろ」をバスケットから出してみると、逆三角形だった目は元の丸い目に変わっており、安心したような表情になっていた。そして何もなかったように居間の椅子に登り眠ってしまった。

翌日私は「ごろ」を引き取る予定だったお宅へ猫用品を引き取りに出かけた。「猫が大暴れしてしまったというお話は聞きましたが・・・すみません。」と私が言うと、若いご夫婦からは「本当にごめんなさい。きちんと飼うと言ったのにもてあましてしまって・・・。」と言われた。二人は私に頭を下げっぱなしだった。子供のうち一人は「猫がこわかった・・・。」とべそをかいていた。よく見るとその子は腕をひっかかれて怪我していた。「でも猫は本当はこわいものじゃないからね。ごめんね。」と私が言うと、子供は「うん・・・。」と言っていた。わかってくれただろうか・・・。

その後もしばらく私は里親募集をしていた。ところが里親募集に応じてくるのは本当にきちんと飼ってくれるのか?というような人ばかりだった。保護期間が長くなるにつれ家でおとなしく暮らしていた「ごろ」はのびのびと部屋を歩き回るようになり、私にもかなりなついてきてしまった。保護して三ヶ月が経過した頃、私は里親募集をやめて「ごろ」を飼うことに決めた。

このことを一番喜んだのは何をかくそう獣医さんだった。お客さんが増えるということもあったのだとは思うが「本当は保護してくれた時からあなたが飼ってくれたらこの子猫にとっては一番幸せなのでは?と思っていたんだけどね・・・。」と言われた。でも私は「ごろ」を飼うとは言っていなかったので予防注射等もとんでもなく安い金額で済ませてもらっていた。獣医さんに「この猫私が飼うから今までお世話になった分をお支払いします。」と話すと「そんな事はどうだっていい。とにかくこの子猫が幸せになってくれれば。」と言われてしまった。

こうして何だかんだと5年が過ぎ、「ごろ」は今では一家の主となってしまっている・・・。

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カタカナ語

今日は朝から会議があった。出席したメンバーはほとんど私より格上の人間だったが、そのうちの一人がやたらとカタカナ語を使っていたのが気に障った。「グローバル」だの「スタンス」だの、ちょっとした事でカタカナ語を使う。それが正しく使われていればまだいいと思うのだが、何だかちょっと使い方がおかしい。そのせいで出席者へ話がきちんと伝わらない。

カタカナ語を使うなと言っているのではない。

  「会議の席等で意味がわからないのにかっこつけて使うんじゃねぇ!」

と言いたいのだ。何のことはない、日本語で言えばきちんと意味が通じるものが複雑になってしまうだけではないか。実際会議が終わった後、出席者の一人が「何が言いたいのかわからなかった・・・。」とつぶやいていた。これでは会議の意味がないじゃないか・・・。

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おおおおおっ!

仕事を定時で終えて寄り道せずに帰宅したら、びっくりする程早く帰れた。

今日は夫が出かけて食事もいらないというので絶好のフルート練習日。家に着くとお風呂のスイッチを入れ、洗濯物を取り込み、お湯を沸かしてごはんを炊いて、すぐにフルートを組み立てて練習を始めた。

最初のうちは例のように音が出なかったが、フルート関連のブログで知った皆さんの練習方法や息の仕方に気をつけて吹いていたら・・・

     「おおおおおっ!ひさしぶりに気持ちよく吹けたぁ!!」

それが短い時間だったのが残念だが、今日は自分にしてはいつもよりきれいな音が出ていたように思う。吹いていても体に無駄な力が入ってないのがわかる。苦手なロングトーンも高音もほとんど苦にならず出すことができた。

しかし不思議だと思った。仕事で頭も体も疲れているのに音が出る。以前にも二日酔いで意識が少しとんでいた(・・・)のに音がきちんと出て驚いたことがあった。熱が出ていたのに気がつかずレッスンに行ったときもきれいな音が出て先生にほめられたことがある。それってどういうことなんだろうか?

そんなことを思いながら足元を見ると、いつもならフルートを練習し始めるとどこかへ逃げてしまううちの猫がのたうちまわって遊んでいた・・・。多分、普段よりまともな音が出せていたのだろう。

                     「うれしい~^^」

調子に乗って曲の苦手な部分の反復練習、高音のロングトーンなど一時間も練習していたらさすがに疲れてしまった。そこで今日は音を出すのをおしまいにした。夜だからあまりぴ~ぴ~と音を鳴らしていると集合住宅ゆえにいつ「うるさ~い!」と言われるかはわからないので・・・。

曲を吹いていてDとEの指づかいが怪しくなってきているのがわかった。一難去ってまた一難、どうしてこうも物覚えがわるいかなぁ・・・と思う私だった。

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うちの猫 その2

先日に引き続いて拾った猫の話にしようかと思う。(しばらく猫の話が続きそう・・・)

子猫を拾った翌日、私から連絡をもらった母が猫を見にやってきた。その日は私が仕事に出かけ、母は私の留守中に家に来たのだった。当時私は一人で暮らしていた。子猫を拾ったというので母は半分興味本位、半分心配で見に来たのだ。

母は猫をひと目見るなり「何この汚い猫・・・。あんたよりによって何でこんな汚い猫拾ったの?」と思ったそうだ。子猫は怯えて部屋の隅っこでガタガタ震えていたらしい。

実は母は猫が大好きである。汚い猫と思いながらも母は子猫に声をかけていたという。すると子猫が少しずつそばにやってきたという。母は子猫に声をかけながらなでたりしていたところ、母のそばにくっついて子猫はごろごろごろごろと喉を鳴らし始めたとのこと。

「よくごろごろ喉を鳴らす子猫だなあ。」と思った母は私の許可も得ず子猫を「ごろにゃん」と名づけてしまい、一日中そう呼んでいたそうだ。ごろごろ喉をならすにゃんこ、で「ごろにゃん」、母はそんなことを言っていた。

母が帰り、しばらくしてから私が帰宅した。子猫は私が家に入ると部屋の奥に逃げてしまったが、10分くらいすると私のそばにくっついてきた。

私はこの猫に「にゃん」という名前をつけるつもりだった。猫に向かって「お前の名前はにゃんだよ。」と言いながら子猫をなでたが、子猫の反応はあまり芳しくなかった。そのうち母からの電話が鳴った。

「あんたずいぶんみじめな子猫拾ったわね~。でもその子喉ごろごろ鳴らしておもしろいわよ~。あんまり喉ごろごろ鳴らすから『お前なんかごろにゃんだよね~。』って言って一日中いっしょにいたのよ~。」

イヤな予感がした。子猫に向かって「ごろにゃん・・・」と声をかけたらしっぽをぶんぶんと振っているのだ。「にゃん」と呼んでも反応しないが、「ごろにゃん」と呼ぶとやはりしっぽをぶんぶん振っている。

「ごろにゃんって名前、定着しちゃったじゃないか・・・にゃんってつけるつもりだったのに・・・。」

母に向かって言うと「あらそう、でもごろにゃんの方がおもしろいじゃない~♪」と無責任に言って電話を切ってしまった。

かくして、うちの子猫は「ごろにゃん」と言う名前で呼ばれることになったのだ。

しかし、こんな名前じゃ里子に出す時どう説明したらいいのかと私は思った。ただもちろん名前なんて新しい家に行ってからまたつけ直してもらえばいいのだ、と私は開き直り、いっしょにいる間だけは「ごろにゃん」とこの子猫を呼ぶことにした。

その後この子猫の飼い主探し・里親探しが始まるのだが・・・。

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うちの猫

Cimg0281 5年ほど前からうちには猫がいる。名前は「ごろにゃん」、メスで推定5歳くらいではなかろうかと思われる。さびとらで雑種(顔つきが明らかに日本の猫とは違うし、やや長毛気味なのでいろんなのが混ざっているのだろう)、拾われ猫だ。

5年前の9月下旬、仕事からの帰りいつもなら通らない大通り沿いを歩いていたらどこからか猫の声がした。しわがれてかすれた鳴き声だったが、明らかに子猫の声だった。だいぶ弱っているなあ、という感じはした。どこにいるのかな?と近くにいた人も探していた。やがて子供連れの母親が植え込みの中にいた子猫を見つけた。

母親が子猫に手を出したところ、子猫は驚き車の走っている大通りに向かって走り出してしまった。

近くで見ていた人は私も含めて「わ~猫が!!」と叫ぶしかできなかった。

すると通りかかったサラリーマンのお兄さんが道路に飛び出て子猫を押さえ、植え込みの中へ戻した。そのお兄さんが立ち去ってほっとしたのもつかの間、今度はその子供連れの母親がまた猫をつかまえようとしていた。するとまた子猫は車道へ向かって走り出してしまったのだ。

思わず目をそらしてしまった・・・。

車道には車が来ており、どうやら子猫はぶつかって跳ね飛ばされたらしい。そしてなぜか私の足元に落ちてきたのだった。するとさっきまで猫を見ていた人が一人残らずいなくなった。

子猫は目をつぶったまま動かない。あ、死んじゃったのかな?と思ってみていたら目が開き、足が動いた。「あ、生きてる。」と安心したが、このままここにいたらまた車道へ飛び出してしまうだろう、明日の朝ここを通った時子猫の轢死体を見るのはイヤだなと思い、通りから奥に入った公園に子猫を持っていくことにした。

しかしこの子猫、意識が戻ってからは私から逃げようと必死だった。車道に出ないように気をつけて追いかけて、疲れてぐったりしたところをつかまえる、この連続だった。

しばらくすると子猫がくたびれて動かなくなったので、通り沿いにあったペット用品店で猫缶を一個買った。缶を開けてエサをあげたら子猫は「うみゃっ、うみゃっ」と鳴きながらエサを食べていた。

エサを食べたら満足したのか、子猫は逃げようとしなくなりおとなしくなった。そのまま抱き上げて公園に連れて行ったら、私の腕の中で眠ってしまっていた。

その年の秋は思ったより気温が涼しく、眠っている子猫をそのままここに置いていくのもどうかと思われた。子猫を街灯の下でよく見たら、頭だけでっかくて体はガリガリ、毛並みもものすごく悪く何だかなあといった状態。仕方がないので獣医さんにだけは連れて行こうと思い、以前からつきあいのある獣医さんに電話し連れて行くこととなった。

動物病院の診察室でこの子猫を改めて見たら、汚いったらない。毛並みははりねずみのように固まっていて、体は本当に棒のようにガリガリ、顔を見たら何だか変だと思ったがそれもそのはずひげが何本も焼き切られていた。鼻から口にかけては鼻水が垂れ、それが固まってしまっている。目は大きいが目やにが大量についている。獣医さんの診た限りどうやら猫風邪のひどいのをひいているようだとのこと。検査をしたらノミやダニまでついていることもわかり獣医さんで全身消毒、顔を拭いたり注射をしたり一時間以上かけての診察になった。

子猫は注射の時私にしがみついてきた。それを見ていた獣医さんが一言「どうするんです?この子猫。」と聞いてきた。「飼う気ないので里子に出したいんです。」私が答えると「うちで保護しておくわけにはいかないので、里子に出すまでは保護していただけますか?」とのお話。家はペット可だったので心配はいらなかったが「猫なんか飼ったことないからどうしたらいいかわからない。」と言うと簡単に世話の仕方を教えてくれ、トイレ砂や何日分かのエサ、ミルクの試供品等をくれた。里親募集のポスターは貼らせてもらえるということで、袋に入った子猫を受け取り猫用品といっしょに家に帰ってきた。このとき診療費は一切とられなかった。そういうわけにはいかないと言ったら獣医さんは「飼うわけではないのだからお金は取れませんよ、保護するだけでもかなりお金がかかることになるのだから。」と言って笑っていた。

家に帰ってから閉店間際のホームセンターに駆け込み、猫のトイレと砂、エサ入れを買って子猫を保護する準備をした。そして近所の本屋へ行き猫の飼い方が書かれた本を買ってきた。子猫は部屋の中で最初呆然とした顔をしていたが、安心したのかしばらくすると椅子の上で眠っていた。子猫を見てもこの段階ではちっともかわいいとか思えなかった。ただかわいそうだ、何とか里親を見つけて無事引き渡してあげて幸せになってほしいな、とだけしか思わなかった。

こうして保護した子猫との生活がその後も長期にわたって続くことになり、結局里親が私になるとはこの時全く考えもしていなかった・・・。

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レッスンのない土曜日

金曜日仕事が終わると、どうしてものんびりモードになってしまう。昨日は打ち合わせの後、出席メンバーでお茶しているうちに盛り上がり、あっという間に夜遅くなってしまっていた。眠りについたのは土曜日に入ってからだった。

毎日通勤に一時間半近くかかるため、朝起きるのは早い方。若い頃は休みの週末となると大寝坊が習慣となっていた。しかし最近は休みでも大寝坊できなくなってしまった。ある程度時間が過ぎると勝手に目が覚めてしまうのだ。(年とったんです^^;)

数日天気がはっきりしなかったのでためてしまった洗濯物を洗濯した。その待ち時間に家にある電子ピアノをひさしぶりに弾いてみた。昔弾いたことがある曲をきちんと弾けなかった・・・とほほ^^;ただ何度も弾いた曲は忘れないもので、練習していくうち思い出して弾けるようになっていく。曲を弾いてた当時のことを思い出しながら練習した、

今月唯一レッスンのない土曜日になったので、少しだけフルートも練習をしてみた。

どうもきちんと音が出ない。しばらく苦手なところばかり吹いていたら、指使いは間違えなくなったものの音はどんどんおかしくなるばかり。一時間もしないうち練習をやめてしまった。

うちの猫「ごろにゃん」はイヤそうな顔をして私を見ていた。「眠いのに何だよへたくそ~!」と目が抗議していた・・・。

夫からも「今日は高音が無理に出してるように聞こえたよ。」と言われてしまった。

やはり、安定した吹き方になっていないのでこうなってしまうのだろう。鏡を見て口の形や楽器の位置を確認しながらの練習がまだまだ必要なようだ。

昼ごはんを食べた後のんびりしていたら、暑い中実家の母が京都旅行のお土産を手にやってきた。

一昨日作ったかぼちゃプリンを食べてもらったら、「あらこれあんたが作ったの?」と驚かれてしまった。母にも夫にも「おいしい」とは言ってもらえたが「まずい」「何だこれ?」とは言われなかったのでよしとしようと思う。ちなみにカラメルはプリンに吸い込まれており、プリンの下は茶色くなっていた。また、当初のイメージとは違い卵のみで作ったプリンのようになめらかなものではなく、むしろケーキに近いように思った。味は甘すぎず薄すぎずでした。何度か作るとまた違ったものができたりするんだろうな・・・。

その後はサッカー中継を見ながら夕飯を食べ、夫と猫とともにのんびり時間を過ごしている。夜も天気がいいので明日やる分の洗濯もしてしまった。夕飯もいつもと違って余裕を持って作れるせいか、普段よりおいしく食べられたように思う。

家事もはかどり、のんびりできるって幸せだけど、なぜか毎週こうはいかなかったりする・・・う~ん。

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かぼちゃプリン

いつもはほぼ同時に帰宅する夫が所用で遅くなり先に帰宅した私は夕食の支度をしていました。おかずを作り終えて一息ついて野菜室の中を見ると先週末宅配で来たかぼちゃが入っていました。他には何かお菓子を作ろうとして買った牛乳と生クリーム、卵が。

そう言えばこの間買ったお菓子の本にかぼちゃプリンが載ってたな、と思い出し材料をチェックしてみると、ちょうど作れそうです。

カラメルを作りながらかぼちゃを蒸し、オーブンを予熱。耐熱皿にカラメルソースを入れましたが、耐熱皿に入れた段階でソースが固まってしまったのです><しかしそんなことにめげる私ではありません^^;

かぼちゃが蒸しあがり粗熱を取ってから皮を落として小さく切り、卵と牛乳と生クリームといっしょにフードプロセッサーにかけ、裏ごしして耐熱容器へ。オーブンの予熱がちょうど終わったので湯せん焼きに。

待つこと30分。かぼちゃプリンができあがりました。粗熱をとって冷蔵庫で冷やすとできあがりですが、食べるのは明日に。どんな味なのか楽しみです。

プリンを作り終わって道具を片付けひと休みして台所に戻ると、床には蒸したかぼちゃの皮が2つ落ちてまして・・・多分うちの猫の仕業。

     「あんた、いったいいつからかぼちゃまで食うようになったんだ・・・。」

と居間でのびている猫に向かってため息をついてしまいました。

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発表会に向けて

今月は月二回のレッスンを三回に増回して対応することにしました。今日からのレッスンはアルテスお休み、発表会モードのレッスンです。

今日のレッスンでは最初からまともな音が出せずこれはまずいと冷や汗をかきました。どうやらレッスン前に楽器を慣らす必要があるようです。そして楽器の位置がやはりずれている・・・まだ鏡を見ての練習が続きます^^;

いつもながらレッスンの後半になってから音が出てきました。恐怖の高音E♭、Fは思ったほど苦戦することなく音が出てきたのですが・・・中音域が少しおかしいのです。先生から半音3音ずつのロングトーンを教わりました。中音域から3音ずつロングトーンをしていくと、高音域を楽に出せるようになります。これからのウォーミングアップに良さそうです^^

先生とのデュオ曲「星に願いを」は、前半にやったおかげで息が続かない、高音が出ないとさんざんな事になってしまいました><半音3音ロングトーンを終えてから先生と合わせましたが、体に余計な力が入ってどうもうまくいきませんでした。先生の音とうまくハモると自分の楽器がうなるのですけど、それを実感できたのはわずかな時間だけ。

ソロ曲「ユーモレスク」は、先生の話では先週よりだいぶうまく吹けていたようです。しかしやはり一ヶ所同じところでミスを乱発。先週のレッスン後何度も何度も繰り返し、間違えなくなるまで練習したはずなのに・・・ショックでした。高音域はひっかかることなく音が出るようになり少しだけ不安が減りました。先生の伴奏で合わせてみましたが、速く吹くと吹くだけでいっぱいいっぱいになってしまう事が判明。本番は少しゆっくりめに音を大事にしながら吹くようにした方がいいかもと先生と話しました。

先生がこんなことを言いました。

 「この二週間どのくらい練習したかで発表会の演奏がかなり変わるはずですよ。」

ということは、ここで練習しなかったら発表会ではバレバレってことですよね・・・。毎日毎日練習時間を取れるわけではない私ですが

        短い時間でも楽器に触れるようにしよう

と思った私でした・・・

再来週のレッスンではいよいよ伴奏者の方と合わせます。

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まさか・・・

先日入院の話を書きましたが、その入院の三年後私はまたも手術を必要とする病気になりました。そして初めて手術を受けた時と同じ病院に入院しました。

入院した日の夕方、看護婦さんが私の手元に一枚の紙を持ってきました。ぱっと見るとその紙にはゼロが書かれていたのです。

  私:「何ですかこのゼロって?」

  看護婦さん:「えっ?それさっき採血したときの結果よ。」

  私:「・・・。これ血液型のことなんですか?」

  看護婦さん:「そう。あなたの場合はO型ってこと。」

  私:「うそ~!?私の血液型ってA型じゃなかったの?」

それを聞いた看護婦さんはびっくり。慌てて処置室へとんでいきましたが、数分後に笑いながら戻ってきました。その日の採血は私だけだったので結果は絶対間違いないとのこと。少しして私と看護婦さんのやりとりを聞いていた婦長さんがもう一枚紙を持ってきました。その紙にも見覚えのあるゼロの字が・・・。

  婦長さん:「三年前の手術の時調べたけど、そのときもO型だったのよ。」

こうして30数年間A型だと思っていた血液型は間違いで見事にO型であったと立証されたのでした・・・。

その後病院に見舞いにやってきた両親に私は聞いてみました。

  私:「あのさ、私の血液型って本当は何型なのさ?」

  母:「A型でしょ?」

  私:「O型だったってさ。」

「あ~やっぱりA型じゃなかったんだ。」とO型であるというだけでいろいろ言われていた父は喜び、「母子手帳にはA型って書いてあったのにねえ。」と母は驚くばかり。その後まるで他人事のように二人とも大爆笑。確かに父はO型、母はA型、弟がA型。私がO型で何の問題もないのですが・・・。

あとで先生に聞いたところ、生まれてすぐの頃はきちんと判定できないことが多いという事で今は小学生くらいになってから血液型を検査するとのこと。私は生まれてわりとすぐ検査をしたようです。

この時は二週間ほど入院しました。手術は二度目だったので何ということもなかったのですが、手術後なぜか頭痛がひどくなり発熱しました。このときは何も気がつかなかったのですが、熱が引いてから体に発疹が。退院前の検査で何と風疹にかかったことが判明しました。後で調べたら風疹も小さい頃にかかった事があると母子手帳に書かれていました。しかしどうやら免疫ができていなかったようです。う~ん。

  

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夏バテ

30歳過ぎてから無縁になりましたが、20代の頃は毎年夏バテしておりました。詳しくいうと夏は何とか乗り切るのですが、その反動で8月下旬から9月頃にかけて体調を崩す変則的な夏バテでした。

20代最後の年は9月にある試験を控えていました。ところがその年は今までないような夏バテでした。食事はできるものの毎日気持ち悪い状態が・・・。そして食事をきちんと摂っているのに毎月のように1kgずつやせていく・・・。気がつくと春から6kgほどやせていました。会社の健康診断では特に異常なし。何だかなあと思いながら試験準備をしていました。幸いその頃は夏に暇な職場にいたので定時で会社を上がることができ、体力の消耗は最小限に食い止められていました。

9月20日頃無事試験は終わりました。

しかしその数日後、いや~な腹痛で目が覚めました。チクッ、という痛みが何分かに一回必ず来るのです。この痛み、どこが痛むのかわからないという不快なものでした。それが何時間たってもおさまらないのです。あまりの不快さに実家の母を呼びました。この時私は土気色の顔をしていたそうです。母にひきずられて近所の病院へかかったところ

        「これ、すぐ手術しないとダメですよ・・・。」

虫垂炎だったのです。そのまま私は即入院となりその日のうちに手術されました。お腹に水がたまっていてかなりまずい状態だったそうです。そのまま一週間入院しました。

入院中は気持ち悪いのがおさまったおかげで食欲のかたまりに。この病院の食事はなぜかボリュームがあり、私の口に合うものが多かったので食べられるようになってからは毎日完食!初めての入院で何もやることがなく、楽しみがごはんだけだったのでごはんの時間になると病室の外で食事が来るのを待っている私に職員の方は唖然・・・。おかげで落ちた体重は一週間で3kg戻りました。

その後すぐに元気になり退院後二日で職場へ復帰、元通りの生活に戻った私でした。不幸中の幸いというのでしょうか、試験も受かっており周囲から笑われた私でした。

しかしその後、数年の間にこの病院に二回も入院することになろうとは思ってもいませんでした。そして自分が30数年間信じてきた血液型がこの入院の時初めて違っていると病院にわかり、二度目の入院で私が知り驚くことになろうとは・・・^^;それはまた後日にします。

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気が向いた時だけです

土日は休みの私ですが、普段の疲れもありフルート以外はごろごろしている事が多いです。しかし、気が向いた時だけお菓子を作ったりしてます。

土曜日はパンを切らしてしまっていたのをいいことにマフィンを焼いてみました。卵、牛乳、小麦粉、ベーキングパウダー、バター、砂糖のみのプレーンなものですが休日の朝ごはんはこれにコーヒーか紅茶で十分な気がしています。ジャムつけてもいいし、おかずがあってもいいですし、朝一時間程度で作れるのがうれしいです。

今日は初めてシフォンケーキなるものを焼いてみました。いろいろな作り方がありますが卵を二個使って17センチの型で焼いてみることに。バニラで香り付けしたプレーンなケーキですが、材料見て思ったより油や粉使う量が少なくてすむのにびっくり。その分卵は使いますけど。

シフォンケーキってメレンゲでかさを出すんですね。メレンゲ作るのに今回は電動ホイッパーを使わなかったのですが、うちにあるボール入りのホイッパーを使ってみたら自分の手でも十分なメレンゲが作れたのでびっくりしました。このホイッパー、ネットを見たら泡立てるのが楽にできると書かれていたので購入に踏み切りましたが、買ってよかったです^^

一時間ほどでケーキは無事焼きあがりました。少し前にオーブン用温度計を購入しうちのオーブンで試してみましたが、どうやらうちのオーブンはそれなりに温度がきちんと上がる仕様のようです。ただ上からの熱が強いのか上部の焦げが少しありました。残念><

特にケーキはしぼむこともなく、思った以上に軽く焼けました。バターケーキやスポンジケーキより手間がかからず、後片付けも楽に感じました。デコレーション工夫すれば立派なケーキができるかも。切って間にクリームをはさんだり、上からクリームをかけたり絞り袋でデコレーションしたりいろいろ楽しめそう。ケーキ自体の味もいろいろな味ができそうですね。少し研究しようと思いました^^

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悪い癖が…

8月初回のレッスンでした。いきなり高音域を吹いてみましたが・・・

         「うそ~音が出ない!!!!!!」

先生も私も驚くほど音が出ないのです。先生の家には姿見の鏡が置いてあるのでフォームをチェックすると、見事に崩れてました・・・。吹き方も何だか変。それを見ていた先生が一言。

「上唇と歌口の位置が近すぎるような気がするんですが・・・前はもっと下の位置で吹いてませんでしたか?」

そうでした。頭部管の位置が上がりすぎていました。足部管がかなり下がっているのでこんな状態じゃ音が出るわけない・・・あれ?これって・・・

       「調子が悪かった頃こんな吹き方してたかも・・・。」

そうです。中音域をやり直した頃の吹き方に戻っていたんです。音が出ないので無理やり吹いていた頃の悪い癖が出始めていました。

楽器の位置に気をつけて構えて吹くと、きちんと音が出てくるようになってきました。また良かった頃の感覚を忘れていたとは。完全に練習不足がたたってますね^^;しばらく鏡見ながらの練習になると思います。

先生からなるほどと思う一言が。

「うまく音が出てきれいに吹けているときは姿勢もきれいで全体的にバランスがいいものなんですよ。でも、音がおかしかったりしてきちんと吹けてないときは、視覚的にも何か変ってことが多いです。」

イヤですよね、吹いている姿見てるだけで変な演奏しそうってわかったら・・・。ただ、おかしな姿勢でいい呼吸法できるわけないですよね。それを考えると視覚的に変=音が変と言うのは正しいかもしれません。

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明日はレッスンだ><

明日はフルートのレッスンだったりします。発表会まで一ヶ月となり今月は毎週のようにレッスンがある状況になりました。発表会で吹く曲目はソロがドヴォルザークの「ユーモレスク」。その他に先生とのデュオで「星に願いを」。一番の問題はソロの曲だったりします。

先週のレッスン後は家に帰ってフルートを吹きまくっていた私でした。しかしあんまりいい音が出ていなかったようで、うちの猫は私がフルートを吹いている間どこかに隠れていました。いい音が出ている時は平気でそばに寝転んでたりするんですよ、うちの猫・・・^^;

前半のリズムを吹く中で強弱が逆になってしまうときがあったり、高音がやたら強い音で出たり・・・。音がうまく出ないとだんだんおかしくなってくるのが自分でわかるのですが無理に修正しようとするとますます悪いところが強調されてくる・・・><

前半部分の最後では何度練習しても指づかいを間違える箇所があります。「やだなここ。」と思っているせいか必ずそこで間違うのです・・・。そしてそれは後半にもう一度同じリズム、指づかいで出てくる場所・・・二回目だけうまくできるなんてわけないですね><

そしてメロディが変わるところで出てくる最低音のCがどうもうまく出ない・・・リングキイの楽器を使っていますがこの音を吹くときだけ空気の振動が伝わってこないのでおそらく指がきちんとふさがってないと思われます。ゆっくり吹くと鳴るんですがそこだけ曲のスピードを落とすわけにはいかないですもんね^^;

中盤の一番最後の部分にはこの曲の最高音Fが出てきます。このFは単独なら吹くことができますが、曲の流れの中で指づかいがついていかず、アルテでやっているF♯と混乱してうっかり吹いてしまう・・・そのまま吹いたらおそらく会場は失笑でしょう・・・TT

ここまで書いてて思ったこと・・・

      「単なる練習不足じゃない??これって・・・。」

そうです。それ以外の何者でもありませんね・・・。

こんなんで一ヶ月、いったいどうなるのかと思います。ピアノを習っていた頃は毎年のように発表会に出ており、変に舞台慣れしていたせいか大きな失敗はほとんどなくあがっていてもどうにでもなっていた私ですが、フルートに関してはどうやらそういうわけにはいかないと思われます。

あと一ヶ月、「あんな演奏するんじゃなかった・・・」と思わないよう練習したいと思っています。

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初めての夏きもの

少し前に綿麻の着物と帯を購入しましたが、何だか暑いような気がして一度も袖をとおしていませんでした。

今日は会社からお休みをいただいて母といっしょに祖父・祖母のお墓参りに行くことになっていました。朝起きてみるとそんなに暑くない、出かけるまでの時間はかなり余裕がある、ということもありその着物を着て出かけました。

襦袢を着てぎょっ。半襟のつけ方がおかしいのです。襟芯が入っているほうを内側にしてしまってました。何とか着られるのでそのまま・・・。

着物を着るのは難なくいきましたが、帯結びが苦手な私は悪戦苦闘。気がつくと帯にうちの猫がとびついてくる始末・・・。

出かけようとしてふと気がつきました。足袋履いてない!!慌てて足袋を履きました。普通一番最初に足袋を履いておくんでしたね・・・。

何とか着物をきて出かけましたが、帯板するのは忘れてるわ、帯がゆるんでくるわで苦笑するしかない状態でした^^;でもお墓参りを無事済ませ母といっしょに浅草まで足をのばしてきました。仲見世を歩いていたら外国人観光客から「いっしょに写真を撮ってください。」と頼まれ、写真撮られ嫌いの私も「やだ。」とは言えずパチリ。

        「ちゃんと着物着られてなくてごめんなさ~い><」

浅草からの帰宅途中の乗り換え駅で少しあたたかいできごとがありました。私の帯が緩んでいたのを見つけた年配の女性が私を追いかけてきたのです。「ごめんね、私も人の着物を直すの上手じゃないんだけど、帰るまでは大丈夫だと思うんだ。」といいながら帯を直してくれました。きものの好きな方だったようで短い間でしたがきものの話がはずみました。名前も知らないその方へこの場で一言。

「あれから家に帰るまでずいぶん寄り道しましたが、帯を締め直していただいてから着崩れしませんでした。本当にありがとうございます。」

午後になってから日差しがきつくなり暑くなってきましたが、きものでのお出かけは思ったほど暑く感じませんでした。汗をかいたのは着付けがうまくいかず冷や汗をかいたときだけだったかも・・・。これからゆかたで少し練習しようと思いました。

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写真を撮ること

学生の頃写真部にいたこともあり写真を撮るのは好きでした。一眼レフなど使っていたときもありましたが、デジカメが出てきてからは持ち歩いて気楽に写真を撮っています。

今年数年ぶりに暑中見舞いを出しましたが、初めて自分で撮った風景写真をハガキにして送ってみました。

そんなことをしていて気がついたことがありました。旅行には必ずカメラを持参し写真を撮っていますが、自分の写っている写真ってほとんどありません。私が撮っているのだから当然とはいえ、100枚単位で撮ったうち自分が写っているのが1枚あればいい方。

        そういえば、写真入りの年賀状も作ったことなかったな・・・。

私は二年程前に結婚したのですが、そのときも自分の年賀状はプリントゴッコで作ってました。(このところ毎年プリントゴッコの多色刷りなのです。)

結婚した翌年のお正月は数人の友人から非難されました。

「結婚したって気がつかなかったじゃん!」  文面見りゃわかるって(心の声 ^^;)

「そういう時くらい写真つけてよ!!」 ← ほっといてくれ~(心の声 ><)

「ダンナさんの顔くらい公開したっていいじゃん!!!」  ・・・・・・(心の声 TT)

そうです。私は写真を撮られるのが苦手なのです・・・。よくよく自分の撮った写真を見ると人を撮影するってことはほとんどありません(撮って~と言われれば撮りますけど)。植物や動物は結構撮ってるんですけどね・・・ってことは

      被写体が写真を撮られるのを嫌がる可能性があれば撮らない

のかもしれないと思いました。だから私の場合被写体が風景や動植物に偏るのかもしれません。

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